台北の立法院周辺で行われたデモには、主催者側発表で3万人以上が集まった(5月21日) Ann Wang-Reuters

<学生らが立法院を占拠した「ひまわり運動」から「10年たっても変わらない」...新総統のスタートは前途多難>

抗議デモは朝9時に始まり、終わったのは深夜、日付が変わった頃だった。5月21日、台北の立法院(国会)周辺には、主催者側発表で3万人以上が集まった。民主進歩党(民進党)の頼清徳(ライ・チントー)が台湾の新総統に就任した翌日のことだ。

デモを組織したのは40を超える市民団体。その多くは2014年の「ひまわり学生運動」で主要な役割を果たしたか、この運動をきっかけとして結成された団体だ。

ちょうど10年前のひまわり運動では、対中融和路線を進めた当時の与党・国民党が中国とのサービス貿易自由化協定の採決を強行したことに学生らが抗議し、1カ月近くにわたって立法院を占拠した。「ひまわり」の名が付いたのは、生花商が連帯の意思を示すために、ひまわりを差し入れたことがきっかけだった。

このとき問題がそれほどまでに拡大したのは、中国との貿易自由化協定が台湾の政治的自由に影響を及ぼす可能性だけでなく、立法院での審議の「黒箱(ブラックボックス)」的な手法のためでもあった。国民党は法案の委員会審議を全く行わないまま(つまりブラックボックスの中で)採決を強行し、一方的に可決を宣言したのだった。

21日の抗議デモは多くの意味で、ひまわり運動の再来だった。大勢の台湾市民が、国民党の手法に再び強い怒りを表明した。

今回、市民の怒りに火を付けたのは、国民党および同党と同盟関係にある台湾民衆党(民衆党)が提出した立法院の改革法案だ。

この法案が通れば、立法院が民間人や政府当局者を召喚して尋問することが可能になる。召喚に応じない場合は、「立法院侮辱」の罪で3年以下の懲役に処せられる可能性がある。

召喚されて尋問を受ける場合には、外交協定や武器取引などの国家機密、あるいは企業機密が含まれる内容であっても、回答を公開することが義務付けられる。しかも「反問」(定義が曖昧だが、おそらく質問に対する何らかの反論を意味する)をすることは許されず、これを行った場合は20万台湾ドル(約97万円)の罰金を科される。

各市民団体はこの法案を、東南アジア諸国や香港の政府が19年以降に可決した国家安全維持法に類似していると指摘しており、台湾弁護士会などもこの改革法案を非難している。法案に反対する意見書には、米国在台協会(事実上の在台湾米大使館)の元理事長2人、香港立法院の元議員1人、カンボジアの野党指導者を含む外国の専門家30人が署名した。

新総統の頼は就任演説で与野党の融和を呼びかけたが(5月20日) CARLOS GARCIA RAWLINSーREUTERS

10年前の教訓はどこへ

反対派は、国民党と民衆党が改革案を利用して政敵を攻撃したり、機密情報の開示を強要して国の安全保障を危険にさらすことを恐れている。台湾では昨年秋、国民党が立法院国防委員会の共同委員長に指名した馬文君(マー・ウエンチュン)が台湾製潜水艦プログラムに関する情報を中国と韓国に漏らしたとして告発された。

国民党は今回の法案を提出する前にも、賛否両論のある司法院の特別捜査部門(SID)を復活させ、法執行機関ではなく立法院の直接の支配下に置こうとしていた。

SID復活の試みが物議を醸したのは、この部門が国民党政権下で政敵を攻撃するのに利用されていたためだ。

例えば国民党政権当時に馬英九(マー・インチウ)総統と対立していた王金平(ワン・チンピン)立法院長が盗聴された問題や、民進党出身の初の総統になった陳水扁(チェン・ショイピエン)が2期目を終えた後に汚職に問われた件には、SIDが関与していた。問題が大きくなったため、蔡英文(ツァイ・インウェン)が総統に就任するとSIDは解体された。

国民党は立法院の権限拡大を狙う今回の改革法案を、行政部門に対する政府の監督能力を強化するための手段と位置付けている。だが反対派は、国民党が権威主義的な過去を思い起こさせる手法で、再び権力を掌握しようとしているとみている。

市民をさらに怒らせたのは、国民党が賛否両論のある新たな法案について、またも委員会審議を行わなかったことだ。ひまわり運動のきっかけとなった貿易自由化協定の強行採決と同じやり方に、国民党は10年前の教訓を何も学んでいないという批判の声が高まっている。

ひまわり運動は、台湾の社会運動史でも有数の、あるいは最も重要な出来事と考えられている。14年3月30日に台北で抗議デモに参加した人は、推定50万人に上った。

5月21日のデモ参加者には、かなりの数の若者が含まれている。彼らは10年前にはまだ若すぎて抗議デモに参加できなかったが、ひまわり運動の精神を受け継いでいると語った人たちが多かった。ひまわり運動にも参加していたという人たちは、10年たった今も当時と同じような問題ばかりが論争の的になっていると嘆いた。

改革法案に反対する人々が特に怒りを向けているのが、民衆党の黄国昌(ホアン・クオチャン)院内総務だ。

黄は10年前にひまわり運動を率いたリーダーの1人だった。しかし黄が民衆党および同党の柯文哲(コー・ウェンチョー)党首、さらには国民党とも手を組んで以降、多くの人が彼を「裏切り者」と見なしている。民衆党は今回、単独では立法院の過半数に届かない国民党に協力し、共同で改革法案を支持した。

民衆党は自らを、台湾の2大政党の対立・分断を超越する第3の選択肢として位置付けている。だが今回の改革法案のような物議を醸す問題で国民党と連携したことにより、民衆党には「国民党を支援するが立場は下の政党」というイメージが強まりそうだ。

21日夜、デモ参加者が膨れ上がるなか、立法院庁舎の周りには4つの特設ステージが組まれ、参加者がそこで自由に発言を行った。このとき多くの若者が「若い世代は一様に黄国昌と民衆党を支持している」というイメージを覆したいと訴えた。

民衆党は、頼が総統に就任する前日の19日に民進党本部前で抗議デモを展開。立法院改革の一環として、改革法案への支持を呼びかけた。屋外でデモが行われていたとき、立法院の中では民進党と国民党の議員たちが改革法案をめぐる議論を続けていた。

改革法案をめぐる投票は50回以上行われ、翌20日の朝までに議員同士の衝突が何度も起きた。立法院では17日にも民進党と国民党の議員の乱闘騒ぎが発生しており、民進党議員4人と国民党議員1人がけがをした。17日は深夜0時頃に立法院の審議が一時中断となり、抗議デモも同時に終了した。

5日間で爆発した憤り

17日には立法院での乱闘騒ぎの後、改革案に反対する抗議デモも自然発生的に行われた。このときの参加者は、数百人にとどまった。

台湾で21日のような大規模な抗議デモが行われたことは、ひまわり運動以降の10年間で数えるほどしかない。17日には数百人だったデモ参加者が21日には数万人に増えたという事実は、つい最近までほとんど議論されなかった問題が、わずか数日で何万人もの人を抗議行動に駆り立てるほど大きなものになったことを示している。

デモ参加者を駆り立てた主な要因にも変化が見られる。

17日のデモの参加者が主に訴えたのは、民進党と国民党の議員が改革法案をめぐって暴力を繰り広げたこと、とりわけ偽情報や市民防衛の専門家であり、若者の間で人気が高い民進党の沈伯洋(シェン・ポーヤン)議員が負傷したことへの怒りだ。

しかし21日のデモで聞かれた主な訴えは、改革法案の潜在的な影響への懸念と、国民党が台湾の政治的自由を中国寄りの勢力のために再び弱体化させようとしたことへの怒りだった。

17日の自然発生的なデモから21日のはるかに大規模な抗議行動までの間に、立法院での乱闘騒ぎを捉えた画像や動画がインターネット上で広まり、事態はさらに注目を集めた。頼も就任演説でこの問題に暗に触れ、与野党の融和を呼びかけた。

だが頼はその後、一連の騒動に直接には言及していない。抗議行動が民進党の仕組んだものだと思われないよう、一定の距離を置こうとしているのかもしれない。

それでも立法院での一連の衝突は、今後4年間の立法院での議論の流れを決める可能性がある。国民党と民衆党は過半数の議席を握る強みを生かし、頼政権を弱体化させる方向で法案を可決させようと試みるだろう。台湾の総統は拒否権を持たないため、民進党は憲法解釈によって改革法案を阻止したい考えを示唆している。

一連の抗議デモが今後、10年前のひまわり運動に匹敵する規模にまで広がるかどうかは分からない。しかし21日のデモが今後の流れをある程度つくったとするならば、今後4年間は政府の各部門の間で対立が繰り広げられ、主要政党がそれぞれの主張を通すためにデモを画策する未来が待っている。

From thediplomat.com

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