能登半島地震の被災地を取材した「鏡週刊」取材班のメンバー=台北市で2024年1月24日、林哲平撮影

 「能登半島の皆さんの生活はどうですか」

 今年に入って、何人の台湾人からこんな声をかけられただろうか。元日の能登半島を襲った地震は、台湾でも高い関心を集め、各界から約25億円の義援金が寄せられた。4月に台湾東部沖地震が起きると今度は日本で台湾支援の動きが広がり、台湾政府高官らは「善の循環」と日台の蜜月ぶりを強調した。

 そうした世論を反映するように、多くの台湾メディアは能登の被災地に記者を送り込んだ。中でも迅速だったのが大手週刊誌「鏡週刊」で、発生翌日の1月2日朝に台北をたった記者2人と写真記者2人が同日夜には能登に入った。

 「多くの建物が倒壊している中、カラスの鳴き声だけが響いていた。他には何も音がない。鮮烈な光景だった」

 20年にわたる震災取材の経験を持つ劉文淵(りゅう・ぶんえん)記者(54)は被災地の様子をこう振り返った。一行は車中泊をしながら石川県輪島市や珠洲市などで取材。18ページの特集にまとめ、同月10日発売号の巻頭で掲載した。

 特集では避難所で暮らす被災者の様子を紹介したり、日台の防災対策を比較・検証したりする一方で、地震による犠牲者やその家族らは登場しない。そうした内容は日本メディアの報道を転電する形で台湾でも広く伝えられていたことなどから、「防災対策や救助活動といったポジティブな側面に注目し、災害が多発する台湾にとってかがみとなる報道にしたい」と考えたからだ。

 たとえば電気や水が足りないのに、避難所のトイレが清潔に保たれていたこと。王思涵(おう・しかん)記者(39)は救助に駆けつけた人たちが被災者と協力しながら掃除までしていたことに驚いたという。記事では日本の学校で地震だけでなく、火事や不審者の侵入に備えた訓練も行っていることにも触れた。「台湾の防災対策も改善しているが、訓練や防災教育は日本ほど組織だったものになっていない」(王記者)

 むろん日本の防災対策が万全であるわけではない。能登半島地震では、過疎地での支援の遅れや場所によって支援が偏るといった課題も浮き彫りになった。そんな中で、災害に対する危機意識を日本と共有し、改善を続けようとする台湾の存在は得がたいものになっていくのではないだろうか。

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