式典に出席するフランスのマクロン大統領(右)とバルニエ首相=パリで2024年11月11日、AP

 フランスの下院で前回、内閣不信任決議案が可決されたのは1962年10月で、ドゴール大統領とポンピドー首相(後の大統領)の時代だ。58年から現在まで続く第5共和制では、不信任案が150回提出されたが、可決はこれまで62年の1回のみだった。この際は、過半数を上回る賛成票が入ったが、ドゴール氏は下院の解散で乗り切った。当時の経緯を振り返る。

 ドゴール氏は62年9月、それまで国会議員や市町村議などによる間接選挙制だった大統領選挙を、直接選挙制にするための憲法改正案を発表した。

 当時、植民地だったアルジェリアの独立を認めたドゴール氏に対する右翼の反感が高まっていた。前月の8月には、パリ郊外で大統領専用車への銃撃事件が発生。九死に一生を得たドゴール氏は憲法改正で大統領の権力基盤強化を目指した。

 ただ、相対的に議会の権限が弱まることから、議員らの間で反対論が強まり、憲法改正を支持するポンピドー内閣への不信任決議が10月に可決された。

 決議に対し、ドゴール氏は下院の解散・総選挙に打って出た。与党は過半数を獲得し、ドゴール氏はポンピドー氏を首相に再任。改憲を巡る国民投票でも賛成が6割を超え、政治的な賭けに連勝する形となった。

 一方、今回の場合、マクロン氏は既に6月に下院を解散しており、仏憲法によると、2025年7月まで議会解散が禁じられている。【ブリュッセル宮川裕章】

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