斉藤さん(仮名)はある日の夕方、自転車で家を出たまま戻ってこなかった

<兄弟分のように仲がよかった2人のホームレス男性。在日中国人ジャーナリストの趙海成氏が久しぶりに荒川河川敷の彼らを訪れると、1人が姿を消していた>

※ルポ第13話:ホームレスは助け合うのか、それとも冷淡で孤独なのか...不思議な「兄弟分」の物語 より続く


私はもう2カ月も桂さんと斉藤さん(共に仮名)の元を訪れていない。

3月下旬の晴れた日、自転車に乗って荒川鉄道の橋の下の小さな森に向かった。

そこは以前よりも整然とした感じになり、林の中のクルミの木の幹がいくつも切られ、地面の雑草も多く取り除かれていた。また、以前はどこにでもあったペットボトルや食品袋、廃電器などの廃棄物や上流から流れ着いた流木も、姿を消していた。

後で分かったことだが、木の幹を切ること以外は、すべて桂さんが一人でこの2カ月ほどの間に一生懸命働いて成し遂げた成果だった。それだけでなく、庭師が切った枝の幹を桂さんは集め、柵として自分の「別荘」の周りに固定していた。

そして、自分のテントの前に、私や他の友達が遊びに来たときに使える応接用の小屋を建ててあった。中で休憩したり、おしゃべりをしたり、コーヒーを飲んだりすることができる。

これは私が今まで見た中で最も小さく、粗末な応接間であるが、中に入って小さい椅子に座ると落ち着いて心地がいい。

桂さんは家の周りをきれいに片付け、「小さな応接間」を建てた

交通事故に遭って、この世に別れを告げたかと思った

斉藤さんの「アパート」を通って、桂さんの「別荘」に行った。

彼らの自転車が入り口に止まっているのを見て、まずはほっとした。2人は無事であるだけでなく、今も家の中にいるようだ。

私は叫んだ。「桂さん!」

「誰だ?」テントの部屋から、桂さんのよく知った声が聞こえてきた。

「趙です。お久しぶりです!」

桂さんは笑みを浮かべて家のドアから顔を出して、間髪入れずにこう言った。

「斉藤さんが行方不明になった」

私は驚いた。

「そこに置いてあるのは斉藤さんの自転車ではないんですか?」

「それは斉藤さんのものではありません。彼は今年1月17日の夕方、自分の自転車で出かけてから、帰ってきていません。交通事故に遭って、もうこの世に別れを告げたのではないかと思いました」と、桂さんは言う。

「その後はどうなりました?」私は待ちきれずに桂さんに尋ねた。

「後で話を聞くと、彼は施設に入ったようです。たまに荒川河川敷に来る、施設の職員に聞きました。その人の話では、この前、確かに斉藤さんらしき人が施設に入ってきた、とのことでした。幸い、彼は生きているようです」

続けて桂さんは言った。

「しかし、斉藤さんは施設に行ったのに、なぜ事前に声をかけてくれなかったのかが分からない。私はその施設の人に、斉藤さんへの伝言を頼んだんです。自転車で帰ってきて、自分が残したものを整理してもらいたい。捨てるべきものは捨てて、捨てないものは施設に持っていってほしいと。でも、今日でもう2カ月以上経ちますが、斉藤さんの姿は全然見えません」

なぜ斉藤さんは急に姿を消したのか

斉藤さんの突然の行動に、桂さんは不満を持っていた。しかし一日中、斉藤さんが残した品物を整理し、分かりやすい所に置いて、斉藤さんが帰って来るのを待っていた。

それどころか、桂さんは、斉藤さんを自分のところに引っ越すように誘ったのは間違いだったのではないかと反省し始めた。

「最初に私が斉藤さんに戸田橋からこちらに引っ越してくるよう勧めたとき、彼は少しためらっていました。ここが狭いのではないかと心配していて、来ても住む場所がないのでは、と考えていたようです。それで私が『大丈夫、私の家の裏にはまだ開発できるスペースがある』と言ったら、ようやく『それなら行くよ』と言ってくれたんです」

しかし、斉藤さんには問題もあったという。

「実はその時、彼はすでに足の病気を抱えていて、歩くと少しびっこを引いていた。それに、1~2年以内には福祉施設に入るつもりだとも言っていました。もしかしたら彼はその時、私の誘いを断るのが悪いと思ったのかもしれないし、こっちに来た後は、ここを離れて福祉施設に行くなんて話を切り出すのをためらったのかもしれない。それが原因で、福祉施設に入って足の治療を受けるタイミングを逃してしまったのかも」

ところで、私は別の推測をしている。

斉藤さんの桂さんに対する気持ちは、不満よりも感謝のほうが大きいに違いない。福祉施設に入りたい気持ちはあったかもしれないが、桂さんに対して「私は施設に入るから、これから、あなたは1人になる」と言う勇気はなかっただろう。

斉藤さんは中の様子を一目見ようと施設に行った際に、そこの快適な生活環境に一気に心を奪われたのかもしれない。お風呂、トイレ、エアコン、テレビがあり、自分の今の野外生活とは天と地ほど違う。さらに施設スタッフから「今日から入居できます。私たちはあなたに新しい布団を用意します」と説得されたのかもしれない。

これは私の推測に過ぎないが、もしあなたが斉藤さんの立場だったら、このチャンスを逃がすことができるだろうか。

いずれにしても、斉藤さんがその後戻ってきて、桂さんにきちんと説明をし、ついでに荷物を片付けたりすれば、丸く収まるはずだ。

そうすれば、私たちは彼のために送別会を開くかもしれない。しかし、そんな思いに反して、斉藤さんは急に出て行って以来、一度も姿を見せていない。桂さんだけでなく、斉藤さんのことを気にかけている友人たちにとって、どれほどやるせないことか。

桂さんと斉藤さんは兄弟のように親しかった

器用で細やかな桂さんと、マイペースな斉藤さん

桂さんと斉藤さんは、私が最もよく知っているホームレスの2人だと思っている。

2人は同い年で、斉藤さんは桂さんより数カ月年上だ。ともに70歳になったという。

しかし、性格は大きく違う。

桂さんは器用で、生活の上では斉藤さんより有能で洗練されている。彼は見識が広く、器用だし、何をするにも細やかだ。しかも趣味が幅広く、将棋がとても上手だ。将棋を指せば、斉藤さんはずっと敗者だった。

斉藤さんは穏やかな性格をしており、マイペースで、少しだらしないところがある。自転車で缶を拾ってお金を得ているが、一番の趣味は競馬で、勝つことより負けることのほうが多い。しかし、斉藤さんはなかなかの囲碁の才能がある。その点、桂さんは脱帽しなければならない。

若い頃は会社員だった...非行少年グループに属していた

私はそれぞれの人生経験を聞いたことがある。

斉藤さんは岩手県の海辺の農村で生まれ、幼い頃から水泳が好きで、海に潜って魚を捕まえたりエビを触ったりしていた。

ご両親は早年に亡くなり、妻も20年前に病気で亡くなったという。斉藤さんの家族は、兄が一人だけ健在だが、長い間連絡を取っていなかったので、今はどうなっているのか分からない。斉藤さんは若い頃会社員をしていたが、業種はいろいろと変えてきた。日本は一度も出たことがないという。

桂さんの少年時代は、いたずらっ子で、かなり波乱に満ちていた。子供の頃は水泳も好きで、学生時代は選手として水泳の大会にも出場したことがある。

彼はバイクに乗るのも好きで、スピード違反で警察に追われることが多かった。飲み物が飲みたくなったら、何人かの不良の友達と商店の倉庫に侵入して、飲み物がたくさん入った箱を持っていったという。バイクはガソリンがなくなったら、駐車している他人の車を探して、そのタンクから勝手にガソリンを抜く。当然、借用書などは書かない。他の非行少年グループとの喧嘩も日常茶飯事だった

一度、池袋での集団の喧嘩で、相手が拳銃を取り出し、桂さんの仲間の一人が足を負傷させられたことがあったと話す。その時、彼は怖くて、素早く逃げたという。

成人してからは、バーテンダーをしたり、会社の営業マンをしたり、ハワイ、オーストラリアを旅行したりしたことがあるという。

桂さんと斉藤さんは、性格も趣味も人生経験もまったく異なるが、互いに親密な関係を築き、まるで「手足」のように(兄弟姉妹や親しい仲を指す中国語)兄弟のように助け合ってきた。お互いの欠点をからかい合うのも日常だった。

桂さんは斉藤さんのことを「競馬場に金を捨てに行くだけで、ほとんど勝って帰ってこない』と冗談交じりに批判し、斉藤さんは桂さんを「女の子のところばかりに行って遊んでいるけど、ただしゃべって帰ってくるだけ」と茶化す。これは、桂さんが公園などで若い女性に会うと話しかけて、会話を楽しむことを皮肉っているのだ。

そんな2人だが、私が2人の関係に感銘を受けて書いた本連載のシリーズ第13話「ホームレスは助け合うのか、それとも冷淡で孤独なのか...不思議な『兄弟分』の物語」に描写したように、全く異なる背景を持ちながらも支え合う姿は感動的だった。

それが、斉藤さんの突然の失踪で状況が一変した。

斉藤さんが家を出た後、何の連絡もない状態が続き、記事の内容がまるで現実と合わなくなったことに、私はどのように自分の顔を潰せばいいのか分からないほどだった。確かに「手足情深」(中国語で、手と足のように離れられない、兄弟や親友の間にある深い情愛を表す言葉)ではあるが、「いくら情が深くとも、いつか別れの日が訪れる」のかもしれない。

1年後、急に戻ってきた斉藤さん。そして桂さんが...

それから、1年が経った。

斉藤さんがある日、突然、荒川河川敷に姿を現した。

桂さんと再会しても、斉藤さんは何も反省の素振りを見せなかったそうだが、桂さんは何も文句を言わなかった。互いに淡々と会話を交わして、何事もなかったかのように穏やかであった。

その時期の斉藤さんは、福祉施設から独身アパートに引っ越していて、足の病気も回復しつつある頃だった。

2人はしばらく話をして、別れるときに桂さんは斉藤さんに柔らかいスリッパを贈った。靴を履くと足が痛くなると言ったから、桂さんが自分のスリッパを斉藤さんに上げたのだ。

だがその年の初夏、斉藤さんはまた荒川河川敷にやって来た。桂さんに、こちらに戻りたいという話を持ち出したという。

今回、桂さんは遠慮なく「いいよ、家賃さえ払えば」と応じた。月に1万円で、桂さんのその小さな「応接間」を斉藤さんに使わせることにした。

兄弟のような情はなくなったが、話し相手としてこれから関係を続けることもできる。私は桂さんのこの対応に賛成する。

しかし、斉藤さんが荒川河川敷に戻ってから1週間後、とても残念なことが起きた。桂さんが急性の心筋梗塞のため、入院したのだ。

桂さんに頼るために荒川河川敷に戻ってきた斉藤さんは、突然一人ぼっちになり、寂しさと不安を感じたようだ。いっそのことどこか別の場所に引っ越そうと思ったのか、彼はまたいなくなってしまった。でも、どこに行ったとしても、桂さんのような理想的な人生のパートナーに出会うことは難しいだろう。


※ルポ第15話(12月11日公開予定)に続く


(編集協力:中川弘子)


[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した──在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。

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