為替相場の変動と日本経済の未来 Paris Bilal-Unsplash

<パニックの「犯人」は円キャリー取引の一斉撤退。「1ドル=115円台」に戻るなら日本経済はどうなる?>

8月5日、世界の株式市場が小さなクラッシュ(急落)を起こした。その原因を1つに絞ることはできないが、外国為替市場を舞台とする投資戦略である円キャリー取引が重要な「犯人」の1つであるのは間違いないだろう。

円キャリー取引とは、低金利通貨(例えば円)で資金を調達して、高金利国の通貨(例えば米ドル)で運用して利益を得ようとする手法。金利差を利用するから、うまくいけばコストゼロで利益を生めるため、金融トレーダーから企業、さらには個人まで幅広い投資家に利用されている。


現在、日本の短期金利は0.5%以下で、アメリカは約5.5%。この金利差を利用すれば、独自の投資をしなくても、4%の利益を生み出せることになる。

唯一の弱点は、為替相場の変動だ。突然大幅な円高が起きると、借り入れていた円資金の返済により多くのドルが必要になり、場合によっては、それまでの金利差収益を失い、損失が拡大する恐れがある。

「こうした市場の動揺は、いわゆる混雑した取引(この場合は円キャリー取引)の参加者が、市場から一斉に出ていこうとするときに起こる。このため急激な下落が起きて、市場心理に影響を与えることもある」と、元メリルリンチ日本証券のベテラントレーダーである関満一郎は言う。

「円キャリー取引が続くためには、ボラティリティー(変動幅)が小さいことが必須条件になる。その点、日本銀行と財務省の方針が予測しやすいことと日本経済の不振が、円キャリー取引の拡大を助けてきた」と関満は指摘する。

その全てが8月5日に崩壊した。円が急伸して、株安が起こり、それが円ショート(円の売り持ち、つまり円がもっと下がるという賭け)の巻き戻し拡大につながった。

これが円の急騰につながり、7月9日に1ドル=161円台まで下がった円相場は、8月5日のアジア市場終了時には142円台と12%も上昇した。この1年の円キャリー取引の金利差収益を吹き飛ばすに十分の上げ幅だ。市場から撤退する動きがますます激しくなったのは無理もない。

この流れの触媒となったのが、その1週間前の日銀による利上げだ。7月31日、日銀は、政策金利である短期金利の誘導目標を引き上げるとともに、国債の買い入れ額を大幅に減らすという2つの措置を講じて市場を驚かせた。

物価上昇に消費者が悲鳴

もちろん諸外国と比べると、日本の政策金利はまだ非常に低い。日銀は、短期金利(無担保かつ翌日返済される銀行間借入金利)を、従来の0〜0.10%から0.25%に引き上げたが、アメリカの短期金利は5.5%だ。

それでも今回の日銀の措置には、8年にも及んだ金融緩和策(その目的はまさにいま問題となっている物価上昇を引き起こすことだった)との決別を改めて明確にしたのだ。


7月31日の利上げ決定後の会見で、植田和男日銀総裁は強い姿勢を示した。経済・物価のデータが「見通しどおり」になり、「ある程度蓄積すれば、当然、次のステップに行く」と、さらなる利上げの可能性を明確にしたのだ。

その背景には、大幅な円安が物価を押し上げて、消費に大きな打撃を与えている現状がある。確かに、生鮮食品を除く消費者物価指数は6月の時点で2.6%上昇と、危機と呼べる水準では到底ない。

だが、一般市民の生活に影響が出ているのは明白だ。なにしろ賃金上昇が物価上昇のペースに追い付かず、実質賃金は26カ月連続でマイナスとなっている。エネルギーと食料のほとんどを輸入に頼る国で、輸入コストの上昇は実体経済と個人消費を直撃する。

そこで日銀は、円安を抑制するため、大規模な市場介入を何度か試みてきた。今年4月29日には過去最大となる5兆9185億円、5月1日にも3兆円を超える円買い・ドル売りの市場介入を行った。

ところが7月末の決定は、史上最高値圏にあった株価に打撃を与えた。8月5日の日経平均株価は12%安と、1日の下落率としては歴代2番目となり、7月11日の高値と比べると27%も下がった。

日銀のメッセージに課題

日銀の突然の利上げと円高で市場に不安が高まっていたところに、予想を下回るアメリカの雇用統計や、伝説の投資家ウォーレン・バフェット率いる投資会社が保有していたアップル株を大量に処分したというニュースが入ってくると、市場には悲観的なムードが漂うようになった。

結果的に、8月5日のアメリカ市場の下げ幅はさほど大きくなかったこと(ダウ平均は2.6%安にとどまった)も、大した安心材料にはならなかった。比較的堅調な企業業績など明るいニュースはすっかり影が薄くなり、暗い雰囲気が支配的になった。

とはいえ、こうした動揺の大部分が24時間以内に起きたことは、今回の急落がさほど深刻な性質のものではないことを物語っている。実際、6日の東京市場は大幅に反発し、日経平均は前日比10.2%高と、1日の上昇率で歴代4位を記録した。

上昇は翌7日も続き、円相場も7月末の利上げ決定以降の急騰を帳消しにする落ち着きを見せた。


これを後押ししたのが、日銀の内田真一副総裁の発言だ。内田は7日の講演で、株価や為替が急激に変動するなら、追加利上げは「慎重に考えるべき」だと語った。

ただ、この発言は、必要なら追加利上げもあり得るという、1週間前の植田の発言と矛盾するようにも見えた。

この種のコミュニケーションは、「日銀に対する信認を損ねるのではないか」と、野村総合研究所の木内登英(たかひで)エグゼクティブ・エコノミストは問いかける。木内に言わせれば、内田の発言は踏み込みすぎであり、日銀のメッセージ戦略には問題がある。

しかしそのメッセージは、これからの数週間で決定的に重要になる可能性が高い。なにしろほとんどのアナリストが、市場の動揺はまだ終わっていないと考えている。

木内は、今後3年で円相場は1ドル=115円台の「適正水準」に戻ると予測する。

「米経済の状況にもよるが、現在の調整局面は、まだ道半ばだ。それにより(急激な円高や株安で)危機的になったのは日本だけで、世界の市場は違った」と、木内は語る。

どうやら円キャリー取引を続ける人が安心できるのは、まだ先になるだろう。当面は、さらなる市場の動揺を覚悟する必要がありそうだ。

From Foreign Policy Magazine

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