ドル円相場は一時1ドル=160円台まで円安が進んだのち、為替介入とみられる円の急騰が続いた。円安地合いのなか、介入と並ぶ「最後の砦」への注目が高まっている。かねて提唱してきた唐鎌氏が解説する。

為替介入と目される激しい値動きの末、1週間前の水準に(写真:Bloomberg)※本記事は2024年5月8日6:00まで無料で全文をご覧いただけます。それ以降は有料会員限定となります。

長引く円安の処方箋として、日本企業が保有する外貨を国内へ送金する際の法人税を減免する、いわゆるレパトリ減税案(レパトリエーション=本国送還)が各所で取りざたされている。

一部報道によれば、政府・与党が6月にまとめる経済・財政政策の基本方針「骨太の方針」に盛り込まれる可能性があるという。

本件については1年半以上前の本コラムへの寄稿「円安抑止へ『レパトリ減税』という真っ当な処方箋 投機でなく需給にアプローチする手段が必要だ」で詳しく議論した経緯がある。各所の勉強会などでも紹介させていただいたこともあり、照会がにわかに増えているため、今一度おさらいしておきたい。

日本企業の海外内部留保は過去最大

円相場の需給改善を志向するにあたって企業部門が保有する外貨は、政府の抱える外貨(≒外貨準備)と並んで使える「最後の砦」であり、為政者の目に留まるのは自然な展開である。

2021年度の「海外事業活動基本調査」によれば日本企業の海外内部留保利益は約48.3兆円と過去最大を更新している。その後の円安を踏まえれば、現時点ではさらに大きな額になっているだろう。

ちなみに筆者試算のキャッシュフロー(CF)ベース経常収支は2022年に約10兆円の赤字、2023年に約1.3兆円の赤字だった。

レパトリ減税政策が奏功して、例えば海外内部留保残高の20%でも還流すれば、安定的にCFベース経常収支を黒字圏に引き上げられる可能性はある(ワンショットの効果ではあるものの、後述するように筆者はそれでもかまわないとは思っている)。

財務省による円買い・ドル売り為替介入や日銀の利上げといった裁量的なマクロ経済政策は当然、通貨防衛の一環として用いられるとしても、今後、通貨防衛戦が長期化すると考えた場合、動員できる手段のラインナップは入念に把握しておく必要がある。

円安狂騒曲の最中に公表される「骨太の方針」でレパトリ減税が取り上げられる公算は確かに小さくないだろう。支持率低迷に苦しむ政府・与党の立場に照らせば、「わかりやすい円安対策」は求められるところである。

「残り5%」の摩擦にこだわる意味

もちろん、2009年度税制改正を経て「外国子会社配当益金不算入制度」が導入されており、すでに保有割合25%以上の海外子会社から受けとる配当益金の95%相当額が非課税所得とされている。それゆえ、残り5%部分を非課税にしても大きな効果は期待できないという声があることも承知している。

しかし、アメリカや英国、シンガポールのように100%不算入の国もある(海外子会社の保有割合はアメリカで10%以上、シンガポールで15%以上、英国でゼロ%以上だ)。

また、ドイツやフランスでも95%以上の不算入が認められているが、保有割合の条件がドイツで10%以上、フランスで5%以上と日本よりは若干緩い。日本の95%不算入が特別恵まれているというわけではなく、国際的には「普通」という印象もある。

「5%部分を非課税にしても意味はない」という意見は傾聴に値するが、「34年ぶりの円安」で国民生活が本当に脅かされていると考えるのであれば、わずか5%であっても本国回帰時の摩擦が残っていることにはこだわったほうがよいのではないかというのが筆者の立場だ。

また、政府が主導して円買いフローを創出しようという姿勢は、投機的な円売りを抑制する効果も期待できるだろう。実質的な効果を期待できなくとも「5%の摩擦」にこだわることにメッセージ性はある。

また、実質的な効果もやり方によっては期待できるかもしれない。

例えば、「5%の摩擦」を除去したうえで使途(例えば賃上げなど)を定め、その条件を満たした場合は国内活動における税優遇があるとすればどうだろうか。もちろん、制度設計としてはさまざまな条件を付けるよりもシンプルであったほうがよいが、「条件次第で恩恵が段階的に大きくなる」という発想はありうる。

もしくは、シンプルに為替需給の論点だけに着目した強硬策であることを断ったうえで提案するならば「当該年度に稼いだ海外利益は〇年以内に還流させなければ、税率を倍にする」といったやり方なども考えられる。

「戻さないのなら2度と戻せなくする」というアプローチはまさに力業だが、「必ず日本国内にワンタッチさせなければならない」という条件さえ満たしてもらえれば円相場の需給はそれだけで助かる。単に現状追認を強めるだけというリスクもあるが、やはり強いメッセージ性はあるように思う。

期間限定で効果絶大、アメリカの成功例

もちろん、これほど強硬なやり方でなくとも「期限を区切ってインセンティブを与える」という時限式の取り組みは実際にアメリカで成功した実績がある。

典型的に思い返されるのが、2005年にブッシュ政権が実施したアメリカの本国投資法(HIA、レパトリ減税)である。

当時のアメリカでも、多国籍企業が海外子会社で稼いだ利益を本国へ還流させるにあたって、所在国と本国(アメリカ)で二重課税されており、「アメリカ国外に留保される企業利益」の存在が争点化していた。

こうしたアメリカ国外に滞留する企業利益を国内に還流させ、設備投資や雇用、自社株買いなどの原資にすることを狙ったのがブッシュ政権のHIAであったと言われている。こうした資本フローは必然的に外貨売り・ドル買いを伴うため、為替市場においてHIAは「成功したドル高政策」として知られている。

ブッシュ政権は、2005年に海外子会社からアメリカへの送金に関する税率を1年間限定で35%から5.25%に大幅に引き下げる策を決定した。引き下げ幅が大きく、しかも1年間という時限措置であったことから、その効果は絶大で2004年から2005年にかけて法人税額は急増している。

具体的には2002年から2004年の3年間平均で1564億ドルだった法人税収入は、2005年にその約1.7倍となる2783億ドルまで急増している。それだけアメリカ国内へ還流された額が大きかったことがわかる。

この際に還流されてきた利益の使途は、その多くが自社株買いであったとされ、実際、2005年の米株は上昇している。また、1年間限定で集中的に資本回帰を促したことで2005年の為替市場ではドル全面高が引き起こされ、名目実効および実質実効ベースでドルは6%以上上昇し、対円では103円弱から118円弱まで上昇している。

現在、円安に悩む日本でレパトリ減税を求める論調の背景には、この先例への意識があるといってよいだろう。

トランプ減税が為替市場に影響しなかった理由

ちなみにトランプ政権も2017年12月に税制改革法案(Tax Cuts and Jobs Act)を成立させ、これもHIAの再来としてにわかに注目を集めた。

だが、この改正案は海外子会社の利益は現地で1回のみ課税され、アメリカへの本国回帰に関しては課税しないという恒久的な措置を定める内容であった。

厳密には、アメリカ企業が海外に滞留させる利益をアメリカに還流させる際の課税は、移行措置として1回限り(現金などの流動資産は15.5%、固定資産は8%に)減税のうえで課税されるが、2005年ほど減税幅は大きくはなく、しかも、時限措置ではなく恒久措置であったため、駆け込みで資金還流を行う誘因は小さかった。

為替市場への影響はフローが集中して初めて顕現化されると考えられ、実際、このトランプ政権下でのレパトリ減税は為替市場にはほとんど影響がなかった。

こうしたアメリカの事例を踏まえ「期限を区切ってインセンティブを与える」という時限式の取り組みであれば、為替需給に影響を与えられる目はある。

もちろん、「レパトリ減税ではワンショットで終わってしまうではないか」という声もあるだろう。その通りである。

しかし、変動為替相場制で取引されている以上、アメリカの通貨・金融政策が修正されない限り、手を尽くしても基本的な潮流は変わりようがない。

どのような手段であれ、今求められているのは「FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)が利下げ局面に入るまでの時間稼ぎ」であり、「ワンショットであるから意味がない」という話にはならない。

レパトリ減税の方針を示す・実際に決定する・実施するという段階があるだけで投機筋の円売りを牽制する効果は期待できる。

為替介入時の議論に散見されるが、政策実施前後の為替水準だけを見て効果の有無を判断するのは本質的ではない。市場に存在するすべての円売りを吸収する政策などそもそも存在しない。

求められているのは持続的な時間稼ぎの手段であり、その中でスムージングも図れれば事業法人などにとっても良好な市場環境を確保することができる。為替市場の流れを根本的に変えられるのはアメリカだけだ。

「時間稼ぎ」している間にやるべきこと

慢性的な円高恐怖症に怯えていた日本経済の歴史において、レパトリ減税は積極的な議論が難しかった。

しかし、もはやその心配はなくなった。自国の企業部門が稼いだ利益を原資に自国通貨買いを増やし、それを起点として賃上げや設備投資といった内需刺激に還元しようとする政策は正攻法であり、他国から後ろ指を指されることもない。

特に、通貨防衛戦の最中、金融政策で小細工を弄して為替市場と無為な投機戦を強いられるよりも、日本の企業部門が保有する外貨を有効活用する方法を検討するほうが建設的な一手に思える。

もちろん、多くの日本企業が海外に活動拠点を移した背景には「そもそも日本の期待収益率の高い投資機会がない」という事情もあるだろう。そう考えると「5%の摩擦」を除去しても、やはり還流は期待できないかもしれない。

しかし、だからと言って、効果があるかもしれない手段を最初から放棄してしまうほど、今の日本に残された手段は多くないはずである。

そうして持続的な時間稼ぎをしている間に、対内直接投資の積み上げであったり、電源構成の修正であったり、労働力の確保(≒移民政策の是非)であったりを議論することで中長期的な円相場の需給改善を図るという姿勢が王道と考えたい。

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