日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」の舞台、長崎の端島には1957年(昭和32年)に小中学校の新校舎が完成しました。端島小中学校は7階建てで、1階から4階までが小学校、6階は講堂兼体育館、5階と7階は中学校でした。
学校の教室では、出窓やベランダを利用して様々な植物が栽培されていました。1970年(昭和45年)当時、島には750人の小中学生がいました。
端島小中学校に通った元島民の坂本道徳さんは「小学生と中学生、学校の入口がいっしょで下足箱があるから、朝は大混雑だった。エレベーターはないし。一番かわいそうだったのは小学生。中学生はクラブ活動があってグラウンド全面を使っていたので、放課後、小学生は遊ぶところがなかった」とふりかえります。
では、小学生はどこで遊んでいたのか?小学生の遊び場は主にアパートの屋上や廊下、それにわずかな遊具がある小さな公園や通りでした。坂本さんによると「アパートの屋上が一番の遊び場だった。野球をやったり、女の子はままごとをやったりしていた」ということです。
1972年(昭和47年)に撮影された映像には、アパートの屋上で野球をする男子児童や、ファッションショーのまね事をして遊ぶ女子児童の姿が映っています。しかし、狭い島内には遊びの禁止事項も多くありました。
当然、アパートの壁などへの落書きも禁じられていましたが、当時の映像には落書きをしていた子どもが運悪く大人に見つかってしまい、怒られている様子が収められていました。
周囲の海で泳ぐことも禁止されていたものの、やんちゃな子どもたちが守るはずもなく、夏場には岸壁から次々に海に飛び込む元気な“端島っこ”の姿が見られました。
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