東日本大震災の発生から10年の2021年に出版された一冊の本。そこに綴られているのは31編のあの日の自分に宛てた手紙です。手紙を書いているのは、震災で大切な人や故郷を失ったひとたち。そのうちのひとり、震災の津波で両親を亡くした女性が手紙に託した思いとは。

「あの日」の自分に宛てた31人の手紙

朗読:
「手紙、本来ならば、差出人と受取人がいて成り立つ一通の物語…」

10月19日、仙台市の宮城野区文化センター。元TBCアナウンサーの藤沢智子さんが集まった人たちを前にある一冊の本を朗読しました。

朗読:
「いつでも伝えられると思っている言葉が、その日の午後には一生伝えられなくなってしまいます」

朗読するのは、「永訣 あの日のわたしへ手紙をつづる」。震災発生から10年の2021年、「あの日」の自分に宛てた31人の手紙を当時、東北学院大学の教授だった金菱清さんがまとめた本です。

震災で両親を失った髙橋さんは…

宮城県石巻市出身の髙橋匡美(きょうみ)さん(59)は「永訣」の手紙を書いた31人のうちのひとりです。

髙橋さんは石巻市で暮らしていた両親を震災の津波で亡くしました。高橋さんが塩釜市の自宅から実家に辿りつくことができたのは、発災から3日後のことでした。

髙橋さんは、2015年から「命のかたりべ」として自らの体験を伝えています。

髙橋さんの語り部の様子:
「廊下をよく見たら私の母は小さくうつぶせになってが倒れていました。ひとって死ぬとあんなに小さくなるんですね」

10月16日には、石巻市内の施設で兵庫県から訪れた人たちに両親のなきがらを見つけたときのこと、それから深い深い悲しみと向き合ってきた日々のこと、そして、命について考えてきた13年のことを自分の言葉で伝えました。

ふと見つけた母親の日記には…

震災後、被災した実家の片付けをしていたとき、髙橋さんは母の日記を見つけました。日付けは、2011年3月1日。

髙橋匡美さん:
「『みんな元気で私もお父さんも健康で、ちょっと入れ歯がいずい。新しくいれた部分入れ歯がいずいけれど、私はなにも悩み事がなくて幸せなのだ』って終わってるの。私が苦しみながらやっと日記を見つけて家に持って帰って洗って乾かして開いたら、そんなこと書いてあって、すごいなと。母のメッセージはすごいなと思いましたね。だからそれ見て、もっと心配事残しといたら、生きてたのかなとか思いましたね」

もっとこうしていれば…。「そんなことばかり引きずっていた」という髙橋さんがたどり着いたのは、「あの日の自分に手紙を書く」ことでした。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。