2004年10月23日に発生した中越地震から20年が過ぎました。
今回は、旧山古志村の全村民2200人の避難を振り返ります。

地震発生3日目。私たちは地震後、初めて山古志に入りました。そこに住民の姿はありませんでした。

この日の午前中までに当時の全村民2200人が避難していたのでした。

記者リポート
「地元住民十数人がヘリコプターで救助されるところです」

村民は長岡市の避難所へ…

この全村民の避難を決断したのが、当時の長島忠美村長でした。
「(村民には)感謝をしております。皆さんの協力にも感謝しております」

地震から10年後の2014年、長島さんに当時を振り返ってもらうと…
「(全村避難が)正しかったのか、正しくなかったのかという考え方はしないようにしようとは思っていますが、一番したくなかった決断をする以上、最善を尽くして被災者に応える以外はないなと思っていたことは事実です」

当初は、“ひと冬だけ”との思いで我慢した生活でしたが、村民2200人の多くは2年近く仮設住宅での暮らしを余儀なくされました。

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