千葉県で唯一の一騎打ちの構図となった千葉2区。
相手候補より2倍以上の票数を獲得し、圧倒的な強さで当選を果たしたのは「コバホーク」こと小林鷹之氏だ。
今回地元活動はほとんどできなかった小林氏の選挙戦はどんなものだったのか、その裏側を探った。
9月に行われた自民党総裁選で一躍全国区の知名度となった小林氏。今回の選挙戦では全国から相次ぐ応援要請で引っ張りだことなり、小林氏は全国を飛び回ることに。自身の地元・千葉2区では、ほとんど本人不在の選挙戦が繰り広げられた。そんな「コバホーク」の留守を預かったのが、妻・秋津さんだ。
公示日に行われた出陣式も、本人は不在。秋津さんは、小林氏のパネルの隣で「留守を預かる私も不安で仕方がありません」とマイクを握りしめていた。
奮闘する選挙戦の真っ只中に、妻・秋津さんが取材に応じた。
秋津さんは、小林氏と同じく東京大学の出身で、大学のクラスメイトだったという。
小林鷹之氏の妻・秋津さん
「私の旧姓と主人の小林の苗字が近くて、語学などで席が近かったんです。それで話すようになり、交際を始めました」
大学卒業後、小林氏は大蔵省(現・財務省)に入省。秋津さんは、弁護士に。
大学卒業後も交際を続け、2006年に結婚。小林氏は2010年に財務省を退職し、自民党の公募に応募。2012年に衆院選で初当選を果たした。
小林鷹之氏の妻・秋津さん
「夫が政治の世界に飛び込むこととなったのは、ちょうど娘が生まれた頃だったので、赤ちゃんを抱えてゼロからのスタートとなりました。小さな事務所を借り、主人の小学校の時の友達が秘書として入ってくれて、1枚ずつポスターを貼っていただくようにお願いをしていったというところですね」
「どのように地盤を固めていけばよいのか、先行きが読めなかったときは辛かったなと思います」
その後、小林氏は順調に当選を重ね、2021年には初代の経済安全保障担当大臣に抜擢された。そして、今年9月の総裁選に立候補。小林氏は政治家としてのスターダムを駆け上がっているように見える。その活躍や求心力の理由について、秋津さんは「近すぎる私には見えにくいところはありますが」と照れながらも、義理堅く、熱血で寛容なところではないかと語ってくれた。
今回、小林氏は総裁選で応援してもらった恩返しをすべく全国を飛び回る一方、秋津さんはその留守を預かることに。秋津さんはこれまで、手伝いとして裏方で選挙戦に加わることはあったが、今回は自らマイクを持ち、街頭活動を行うことが多くなったという。本人が話すには及ばないとしながらも、長年連れ添うなかで見てきた小林氏の「横顔」を伝えることを心がけたという。
小林鷹之氏の妻・秋津さん
「世襲や地盤を引き継いだという環境ではないからこそ、ゼロからのスタートのなかで、地元の方の支援を頂いて今に至ります」
「そうした地元の方とのご縁を紡ぐことを、主人の代理でやっているような感じです」
秋津さんに「政治家の妻」として感じることやモチベーションを聞いてみると。
小林鷹之氏の妻・秋津さん
「主人のおかげで、私自身1人では見られなかった夢や光景を見させて頂いています」
「主人が日頃考えていたことが、具体的な施策としてできていくのは本当に素晴らしいことだと思うので、それを妻として横で見ているというのは本当に感じます」
さらに、「政治家の妻」としてどうありたいかについても尋ねてみると、「まだ模索中かもしれないです」と悩みながらも、こう決意を聞かせてくれた。
小林鷹之氏の妻・秋津さん
「主人はいわゆる“政治家”というような伝統的な政治家像とは違う新しい形でリーダー像を打ち出そうとしています。 私自身もそれを横で見ながら、あまり形を決めつけずにやっていきたいと思います」
留守を預かる妻として不安を滲ませながらも、政治家の妻としての思い、そして時折はにかみながらも長年、側で見てきた小林氏の「横顔」を語ってくれた。
地元にほとんど本人不在という異例の選挙戦のなか、勝利を収めた小林氏。5回目の国政の舞台に妻・秋津さんと二人三脚で挑む。
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