パリオリンピック™で青森県民を沸かせた“ヒロイン”が青森県に帰ってきました。

バドミントンダブルス女子で銅メダルを獲得した青森山田高校出身の志田千陽選手が23日、“第2のふるさと”と語る青森市で、母校や栄誉賞の授与式に臨みメダル獲得後の心境を語りました。

“五輪のヒロイン”青森県に―

市川麻耶キャスター
「パリオリンピックで銅メダルを獲得した志田千陽選手、首に銅メダルをかけて母校に凱旋です」

生徒1300人の盛大な拍手で出迎えられた志田千陽選手。中学・高校の6年間を過ごした青森山田に帰ってきました。

パリ五輪バドミントン ダブルス女子銅メダリスト 志田千陽 選手
「またメダルをもって、ここに戻ってくることができて、とてもうれしく思います」

初出場のオリンピックでは、松山奈未選手との「シダマツペア」で、ダブルス女子では日本勢3組目のメダル獲得の快挙を果たしました。永原選手や福島選手など世界で羽ばたいたオリンピアンの先輩を追いかけた青森山田での6年間でした。

恩師の藤田真人監督も懐かしそうに振り返ります。

SNSのフォロワーが100万人に達する“インフルエンサー”

青森山田高校バドミントン部 藤田真人 監督
「やんちゃな一面もありますけど、コートに入ったら人が変わったように集中してやる子だった。志田・永原・福島とか目標する先輩がいるのでいいモチベーションをもらっています」

そんな憧れの先輩、志田選手は後輩たちにエールを贈りました。

パリ五輪バドミントン ダブルス女子銅メダリスト 志田千陽 選手
「ここにいる皆さんも世界を目指して戦っている方、努力している方が多いと思うんですけれど、皆さんには目指してほしい舞台だなと改めて感じました」

オリンピック後には親しみやすいキャラクターと、キュートなルックスで人気が急上昇。SNSのフォロワーが100万人に達する“インフルエンサー”です。

五輪での“ちょっとしたハプニング”もアイドル級の笑顔で『神対応』

そんな志田千陽選手、いまでは知名度は抜群ですが、オリンピックの際に日本から駆け付けた応援団のうちわには「CHIHARU(ちはる)」ではなく「CHIHIRO(ちひろ)」と書かれていました。「CHIHIRO(ちひろ)」とはいったい…?

パリ五輪バドミントン ダブルス女子銅メダリスト 志田千陽 選手
「パートナーの松山の知り合いか、いとこの方が応援のうちわを作ってくれたらしいんですけど、『ちひろ』だと思っていたのか名前を間違えちゃったみたいです(笑い)」

間違えても笑って『力』に変える“神対応”。このアイドル級の対応は、23日の青森市民栄誉賞の授与式でも垣間見えました。

バドミントンに打ち込む少女からの質問には成長するための秘訣を伝えました。

小学生
「私は弟と一緒にバドミントンをしています。パリオリンピックに出るにはどのような努力が必要でしたか」

パリ五輪バドミントン ダブルス女子銅メダリスト 志田千陽 選手
「(自分は)才能とかセンスとか優れていないと思っていたんですけど、その分努力をしてカバーするしかないと考えていて、日々の練習を妥協せずに1日1日やり切ったと思えるように、振り返ったときに後悔しないように練習することを心掛けている」

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。