メキシコシティーオリンピックの体操女子団体で4位に入賞した長崎市出身の塚原千恵子さんが、先月1日に亡くなっていたことが分かりました。NBCでは2008年、オリンピック選手の育成に力を注いでいた塚原さんを取材させていただきました。
朝日生命体操クラブ女子監督(当時60歳)・塚原千恵子さん:
「私たち体操人にとって(オリンピックは)夢ですね。まず代表になること、メダルを取ること、世界で活躍すること」
塚原千恵子さんは長崎市出身。長崎西高から日体大に進み、1968年のメキシコシティーオリンピックで、体操女子団体が4位入賞を果たした時のメンバーです。今よりもっと国中が、オリンピックに一喜一憂していた時代でした。
塚原千恵子さん:
「やはり失敗したりするとね、日本に帰れない様な雰囲気ありましたし、
日の丸を背負ってチームで戦うことは、私たちの時は団体3位を狙って『銅メダル』をチームで狙ってたんですけども、ドイツに負けて4位になった。責任感とか国を背負っているという雰囲気は今より随分ありました」
引退後は、名門・朝日生命体操クラブの監督となり、数多くのオリンピック選手を輩出、北京オリンピックでは体操女子の監督もつとめました。
夫は「月面宙返り」を生み出し、体操男子で金メダルを5つ獲得した塚原光男さんです。長男の直也さんも、両親の後を追い11歳で体操を始め、2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得しました。
塚原千恵子さんは、息子直也さんのことを次のように語っていました。
塚原千恵子さん:
「体操はあんまりやらせたくなかったね。…厳しいって知ってるからね。でもこの体育館でいつも遊んでいたので、自然と飛んだり跳ねたりやってて、やるようになったんですけどね」
関係者によりますと、塚原さんは病気のため9月1日に77歳で亡くなり、葬儀は家族葬でとりおこなったということです。
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