21日、夏のオリンピックで日本勢最多に並ぶ6大会連続出場を果たした、アーチェリー日本代表・古川高晴選手が引退を決めました。
古川選手の四半世紀の歩みを一番間近で見てきた両親と、競技人生のスタートを切った恩師は、これまでの感謝と共に次のステージへの期待を語りました。
息子の活躍を一番傍で見つめていた父と母
21日の会見で古川選手はふるさと・青森についても語りました。
アーチェリー 五輪6大会連続出場 古川高晴選手
「青森から離れて21、22年になりますが、青森出身ということで、いつまでも取り上げていただき、いつまでも応援していただき本当にありがたかったです」
その息子を一番傍で見つめたのが父・勝也さんと、母・礼子さんです。
古川高晴選手の母・礼子さん(2021年当時)
「あぁもしかしたらあそこにいれたかもしれないね、チケット取っていたのにね。残念残念」
無観客で行われたコロナ禍の東京オリンピックを含めオリンピックはすべて現地で声援を送りました。正月の帰省の際に引退する思いを告げられたといいます。
「“おつかれさま”と“ありがとう”と言いたい」両親の思い
古川高晴選手の母・礼子さん
「息子は常々衰えてしまってから辞めたら逆に悔いが残る。自分がいい時にやめて自分の持っているものを後輩につなげていかなければいけないと思っていた。楽しみをいっぱいいただいたので、おつかれさまとありがとうと言いたい」
ロンドンでの初めてのメダル獲得が、一番心に残っていると振り返る父・勝也さんは、アーチェリーと出会った息子をこう振り返ります。
古川高晴選手の父・勝也さん
「とにかく頭の中はアーチェリーだけ。アーチェリー中心の生活になった」
「金メダルをとれるような選手を育ててほしい」恩師が語った古川選手
誰よりもアーチェリーが好き―。
恩師の手塚義浩さんは、大学進学の際に教員免許が取れる進路を勧めた際に返された古川選手の言葉が、いまも印象に残っています。
古川高晴選手の恩師・手塚義浩さん
「アーチェリーをやるために大学に行くんだ。だから、1番強いところにいかなくちゃいけない。ということで大学を選んだんです」
県アーチェリー協会の会長の肩書も持つ手塚さんは、青森に帰省するたびに練習の指導や講演を通して競技の裾野を広げるために力を尽くしていた“教え子”の次のステージにも期待をかけます。
古川高晴選手の恩師・手塚義浩さん
「ぜひオリンピックで古川自身が果たせなかった団体・個人での金メダルをとれるような選手を育ててほしいな」
古川選手の功績は、多くの人の胸にたしかに刻まれています。
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