「島の風景だ」

1995年の阪神淡路大震災で被災した経験から、地域防災や被災地支援などに取り組む、沖縄在住の防災士・社会福祉士の稲垣暁さんは今年2度、能登半島を訪れた。車窓から見える山がちな風景に、沖縄との共通点を感じていた。

「沖縄は四方が海やけど、能登は三方が海。南が陸と繋がっている “島” ですよね」

今年2度目の能登訪問は、豪雨災害に見舞われる前の9月上旬だった。地震からの復興道半ばの能登から沖縄に戻り、ほどなくして起きた奥能登豪雨の惨状に、ショックを受けた。

防災士・社会福祉士の稲垣暁さん RBC iラジオに毎週出演し防災情報を発信している

「特に奥能登の皆さんは、今年2度にわたって風景がほとんど破壊されてしまった。(地震からの)生活再建がようやく軌道に乗るかと思ったらまたもや…」

戻った沖縄では、レギュラー出演するラジオ番組で3週にわたり奥能登豪雨を取りあげ、豪雨災害の前に見た能登と沖縄のいくつかの共通点を話した。

ラジオで発信「能登と沖縄は似ている」

「夏は奥能登に行くほど、“やんばる”(本島北部の森林地帯)のようで緑がある。海が、空が広い」

「山がち坂がちの地形で、山はそう高くない。沖縄本島の最高峰は、やんばるの与那覇岳(503m)、奥能登の最高峰は高爪山で567 m。大きな川がなく、狭くて短い川がたくさんある」

「能登の最長の川は輪島市を流れる町野川(21km)。次いで河原田川。いずれも今回氾濫してしまっている」

「しかも、川の護岸両側の高さは住宅や田畑と同じ高さ。堤防・河川敷があるような川はないんですね。沖縄にもないよね」

沖縄にも1級河川はなく、最も流路が長い川でも16kmの比謝川。大きな河川がなく、川が「狭くて短い」点は能登半島と似ている。

また能登半島地震で震度5強を観測した羽咋市から北、珠洲市までの距離は約100kmで、沖縄本島の長さとおおよそ同じだ。

「そういう意味で見ると、“島の風景” だった」

豪雨被害拡大の背景に 元日の地震ー

「さらに9月に感じたことは、地震で護岸が沈んでいるところが多かった。例えば珠洲市の鵜飼地区というところにある鵜飼川のほとり、大谷地区の珠洲大谷川を歩くと、土手が下がっているんですね。何を見て分かったかというと、「橋」です。橋が浮いた感じになってて。周りは落ちてる、そんな感じだったんですよね」

こうした被災状況にあった能登半島に、9月21日から22日にかけての豪雨が襲った。

1時間雨量121ミリ。3時間で222ミリ、24時間雨量412ミリ、22日午後4時までの48時間雨量は輪島市で498. 5ミリ、珠洲市で393.5ミリに上る、観測史上最大の雨が降った(輪島市)。

鵜飼川にかかる橋 9月7日撮影

これによって、氾濫した河川は23河川(珠洲市で7、輪島市で6、能登町3、 七尾市5、志賀町2)。16日現在、7つの市と町で死者は14人(行方不明者1人)に上った。

「(奥能登豪雨は)桁違いの雨だったけど、はん濫した原因は沖縄と同じ、狭くて短い川。あっという間に処理能力を超える雨が降ってしまった」

「沖縄には大きな川がないから洪水は起こりにくいという人は結構いるんですけども、違うわけですね。むしろ短い川だから処理できなくてあふれてしまう」

地震被災後の仮設住宅を襲った雨災害

また稲垣さんは今回の豪雨災害で、地震後に設置された「仮設住宅」が被災した状況にも注目している。

能登半島地震を受け、石川県内に6518戸の仮設住宅が建設されている(既存の建物の借り上げを除く・10月15日時点)が、このうち輪島市と珠洲市で約200戸が床上浸水の被害にあった。稲垣さんはこのうち142戸が床上浸水した「宅田町第2団地」を、豪雨被災前に訪れていた。


「ここは商業施設が集まっているところで、仮設住宅の目の前に大きな充実したスーパーなどが並び、広い駐車場に社会福祉協議会の災害ボランティアセンターの拠点があったりした。生活上必要な機関が集まっている」

「生活機能が集積していて、山がちで土地が少ない能登半島としては、仮設住宅の土地を広く取れたほうだなと思っていました。ただ、川の近くでした。洪水の心配は “なくはない” ところだった。そこが、50年に1回の大雨(での洪水)を想定した洪水浸水想定区域だった、ということです」

仮設住宅の設置にはスピードが求められる一方、下水道施設などインフラがなかったり、従来の生活圏と離れすぎた地域には建設しにくい。

地震が被災した阪神淡路大震災や東日本大震災などで、仮設住宅を拠点に生活を再建していく人々と関わってきた稲垣さんは、浸水リスクが多少あっても利便性が高い地域に仮設住宅が建設された状況をおもんぱかった。

実際、能登の被災地はそれ以前の災害の被災地に比べ、既存建物を借り上げた“みなし仮設”の住宅が少ないという。

「東日本大震災では仮設住宅の建設が5万3000戸ありましたが、より多い6万8000戸が、借り上げられた“みなし仮設”でした」「能登は建設の半分以下、2800戸あまりが“みなし仮設”。それだけ(居住に適した)土地がない、賃貸物件自体が少ない」

沿岸部の低地に建つ仮設住宅(輪島市・24年5月撮影)

被災後も困難を抱える能登と被災地と「似ている」沖縄。

稲垣さんは、沖縄でも、大規模災害に襲われた場合の「その後」を想定しておくことが大切だと指摘する。(後編「仮設住宅と沖縄」は後日掲載します)

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