県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第97回のストーリーは、六ケ所村出身で寿司場 統括の木村里子。
大阪市都島区にある寿司と地酒を楽しめるお店「鮨と地酒じょっぱり」。木村は店の統括として自らも調理場に立ち、寿司を握っている。
兄2人と共に過ごした元気で活発な子供時代
木村は、兄二人と仲の良い活発な子どもだった。
木村里子さん
「雑誌“小学5年生”の付録についていた仮面ライダーの紙とか、お下がりでつけて遊んでいました。年が離れたお兄ちゃんにくっついてまわっていた感じかな」
末っ子で、みんなに溺愛されて育った木村は、中学になると漫画に憧れてバスケットボール部へ。
木村里子さん
「中学は、漫画の“スラムダンク”にはまりすぎて、ベリーショートにしてみたりとかして。卒業文集に、バスケットでトップを目指すとか書いてたんじゃないですかね」
何事も自分が良いと感じた方向に行動する、それは高校の進学先にも反映された。勉強があまり好きではなかった木村は、普通科ではなく調理科へ。
そして、入学後に始めたアルバイト先で、自身の人生に影響を与える人たちと出会うことになる。
焼き肉店の仕事で感じた一体感
木村里子さん
「青森市内にあった、パチンコ店に隣接してる、もうなくなっちゃったんですけど“李苑”さんという焼肉屋さんに出会って、そこでアルバイトしました。唯一無二の瞬間じゃないですか、その時に1人でも欠けたらできなかった空間というか。だから、それ(仲間意識)を本当に得たのは、“李苑”さんでの自分の高校時代ですね」
仕事の仕方を肌で感じたことで、料理の世界で生きていく決意を持ち、お笑い番組とお笑い芸人が好きだったこともあり、大阪の調理師専門学校へ進学。
そこで再び、自分の人生に影響を与える出会いが訪れる。
専門学校の時に入ったアルバイト先の会社と今の自分
木村里子さん
「アルバイト先がここだったんですよ“株式会社藤丸”。バイト先となって1年、専門学校そっちのけでここのアルバイトにどハマりしちゃって。そこで“李苑”の時みたいな、もっと強い熱いチームの中に入れてもらえたという感じですね」
当時は自分の津軽弁を相手に理解してもらえないのと同じぐらい、大阪の言葉や、人との距離感に慣れるまでが大変だったという。
木村里子さん
「関西弁の喋り方も怖いし何言ってるかわかんないし、最初はなんでそんなことまで聞かれないといけないのとか思ったけどいつのまにか、もう全部気持ちが持ってかれていて」
当時は男社会の中で、女性が調理場に立つのが難しい状況の中、アルバイトの後、地道な努力で社員になり調理場に立つこともできた。
後輩に追い抜かれることもあったが、30代で主任に。
そこで今の社長に出会う。
木村里子さん
「調理だけでなく、人としてみたいなのも教えてもらって、本当にしんどい時つらい時に這い上がる時の上がり方を教えてくれた人。社長との出会いは、人生ひっくるめてすごい人に出会ったなと」
お店の名前「じょっぱり」は社長が提案してくれた。料理もお酒も青森愛であふれる店内は木村の思いそのもの。
木村里子さん
「お店に入ってきてくれたお客さん、そこで関わったお客さんにとって楽しい時間でありたい。お客さんだけじゃなくて、自分も」
木村里子さん
「キッチンカーでいろんな所を巡って、最終的には自分が培った料理を通じてコミュニティの場になるようなお店を青森で作りたいっすね」
青森テレビ「わっち!!」月~金曜夕方4時25分
「TurningPoint」2024年10月15日(火)放送回より
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