東日本大震災の津波で児童と教職員あわせて84人が犠牲となった大川小学校の卒業生、只野哲也さん(25)。只野さんは自らも津波にのまれながら一命を取り留めました。そんな只野さんは今年からJR福知山線脱線事故の当事者と交流を深めています。交流を通して只野さんが感じたこととは。
只野さん、事故現場を訪れる
9月25日、只野さんの姿は兵庫県尼崎市にありました。訪れたのは、かつてJR福知山線が脱線した事故現場。2018年に現場の一部を残す形で追悼施設が整備されました。
只野哲也さん:
「目の前を電車がひっきりなしに通過しているのは胸に迫るものがある」
19年前の4月25日、制限速度を超えた列車がカーブを曲がり切れず脱線し、線路際のマンションに激突。乗客と運転士あわせて107人が亡くなりました。
只野さんを案内する小椋聡さん(55)は、最も多くの人が亡くなった2両目に乗り、自らも足を骨折する重傷を負いながら一命を取り留めました。現在は遺族とともに被害者の最後の乗車位置を探す取り組みをしています。
小椋聡さん:
「どうして(遺族が)最後の乗車位置にたどり着きたいのか、ここを見てもらったらわかると思う。思った以上に広いので、手を合わせる場所がどこかわからない」
小椋さん、大川小を訪れる
2人の交流は、小椋さんが只野さんの報道を見たことをきっかけに6月に始まりました。そして7月、石巻市の大川で初めて顔を合わせました。
小椋聡さん:
「よく(校舎を)残すという方向になりましたよね。これも無くなるのと残すのでは全然違いますよね」
大川小学校の校舎は一時、解体も検討されましたが、只野さんらの活動がきっかけで現在は震災遺構として保存・公開されています。
只野哲也さん:
「5時のチャイムも震災前からこれなんですよ。このチャイムを聞くたびに懐かしいなと。この音だけは変わらずに、これからもずっと校舎に響き渡ってくれているんだなと感じる。音とか匂いとか味とか色とか、きれいに残り続けるものなんだなって」
「手を合わせる場所」は…
津波で9歳だった妹の未捺さんを亡くした只野さん。亡骸は校舎から500メートル離れた場所で見つかりました。
只野さんがまず伝えたのは「手を合わせる場所」についてでした。
只野哲也さん:
「お父さん、お母さんが瓦礫の中から息子・娘を引き上げたのはこの場所。でも校舎に手を合わせるし三角地帯に向かって手を合わせるし。僕にとっては(手を合わせるのが)なんでここじゃないのと感じる」
小椋さんも同じ思いを抱いていました。
小椋聡さん:
「花を置く場所も、彼ら(JR西日本)が良かれと思って俯瞰できる場所に献花台を置いている。僕の事故現場は、全然違う場所なので献花台もなかったけれど奥まで入っていってそこに花を置いていた」
「奇跡の生存者」への違和感
震災と脱線事故。「奇跡の生存者」と報じられ、自らの経験を伝えることになった2人だからこそ共感できる思いがあります。
小椋聡さん:
「『被災者として喋らされていることを繰り返している、これでいいのかと思っていた』と話していた。僕もそれはわかる。僕はこの人とならそのことを喋れるんじゃないかと思った」
只野哲也さん:
「『奇跡』だけじゃなくていろんなフレーズひとつひとつに重なるところ、共感できるところがある。全然初めて会った感覚がないくらい、僕にとって心地よい時間だった」
只野さんと小椋さん。2人はいま共同で企画していることがあります。
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