「職業差別をなくしましょう」。口で言うのは簡単だ。でも、人々の印象を覆すのは容易ではない。  その問題に真正面から向き合うのが、東京都奥多摩町で、観光用トイレの清掃を担う集団「オピト」。斬新な発想と丁寧な仕事で「日本一かっこいいトイレ清掃員」を目指している。

観光トイレの床を磨くオピトのリーダー、大井朋幸さん。左は荒井るり子さん=いずれも東京都奥多摩町で

◆「日本一観光用公衆トイレがきれいな町」

 都心から電車に揺られて2時間。JR奥多摩駅前のトイレは、この町を訪れた人が最初に使うであろう公共施設だ。「トイレは登山やレジャーを楽しむための出発点。町の第一印象がここで判断される」。オピトのリーダー、大井朋幸さん(49)は言う。

奥多摩駅に隣接する観光トイレ

 オピトは「オクタマ・ピカピカ・トイレ」の略称で、町から清掃の委託を受ける「奥多摩総合開発」の正社員によるチーム。メンバーは4人で、町内41カ所ある観光用トイレのうち23カ所の清掃を担い、1日7~8カ所を巡回している。  町が自負する「日本一観光用公衆トイレがきれいな町」を支えてきたプロ集団だ。  4月中旬、多くの観光客が訪れる駅前のトイレ。大井さんがはいつくばって床をタオルでこすり、座り込み便器を抱えるようにスポンジで磨く。清掃用具は家庭用洗剤やスポンジなど、家で使うものが大半。「全て手作業。大きな掃除機や電動モップは使わない。人の手でやるからきれいにできる。目視で汚れの一つ一つを確認して丁寧に、ね」

座り込んで便器を磨く大井さん

 大井さんは、同社がトイレ清掃を受託した2017年に入社した。それまでは料理人などを務めていた。「トイレ清掃員って言われたときは、人生終わったと思った」と振り返る。「清掃員は汚くて大変で底辺という偏見もあった」から。  7年前、町のトイレはお世辞にもきれいとは言えなかった。床は汚れで真っ黒。便が何層にも積み上がり、便器からあふれていた。強烈なアンモニア臭と観光客が残したごみ。汚いトイレはさらに落書きをされたり、ごみを投げ込まれたりする悪循環に陥っていた。大井さんは悪臭に嗚咽(おえつ)し、吐きながら清掃した。

◆「娘にとって恥ずかしい存在なんだと思った」

 ある日、小学1年生だった長女が、父親がトイレ清掃員だという理由でからかわれ、泣きながら帰ってきた。「『お父さん、うんこだ』『汚いな』とか。自分は娘にとって恥ずかしい存在なんだと思った」  だが、心に火が付いた。「変にスイッチが入っちゃった。じゃあ日本一かっこいいトイレ清掃員になってやろう」。誰もが憧れる仕事に変えると決意した。

オピトからのメッセージが記された洗剤容器

 あえて、顔が見える清掃員を目指した。それぞれメンバーカラーを決め、派手な髪色やスタイリッシュな衣装に。ポスターも町のあちこちに貼った。「清掃員ってずっと下を向いている。客と目を合わさずに、恥ずかしそうにしている人が多い」と気づき、積極的に観光客に話しかけ、あいさつするようにした。

◆美しいトイレ「みんなでつくるから楽しい」

 すると、トイレの利用マナーが格段に向上した。「だって、知り合いが清掃してるトイレを汚く使おうとは思わないでしょ? 俺らが一生懸命掃除している姿を見ると、みんな『きれいに使わなきゃ』って思ってくれる」と、にやり。あえて手作業を選ぶ理由も、ここにある。  「美しいトイレは、俺たち清掃員だけじゃ保てない。利用者のマナーがあってこそ。みんなでつくるから楽しいんだよね」  活動をきっかけに、関心を持つ人も増えてきた。昨年9月に入社した荒井るり子さん(33)は「ポスターを見て、面白そうだから応募した」。両親からは「トイレ清掃員なんて」と反対されたと打ち明ける。「今も、完全には納得していないかもしれない。でも私が楽しそうに働く姿を見て、少しずつ理解してくれているのかな」  オピトを知った大阪の小学生から手紙をもらい、3月にサプライズで学校を訪ね、授業で話もした。後日届いた手紙が、メンバーの目頭を熱くさせた。「オピトさんみたいなかっこいいトイレ清掃員になりたい」  清掃員の地位の底上げを目指すオピト。大井さんは「そもそも、清掃員って正社員での雇用が少ない」とこぼすも、へこたれない。「でも俺たちはプロフェッショナル。誇りを持って、毎日本気で楽しく働いている。子どもたちに憧れられる職業にしたい」

◆今月の鍵

 東京新聞では国連の持続可能な開発目標(SDGs)を鍵にして、さまざまな課題を考えています。今月の鍵はSDGsの目標6「安全な水とトイレを世界中に」と目標10「人や国の不平等をなくそう」。駅前のトイレでの取材中、何人もの観光客が大井さんたちに声をかけていた。「いつもありがとね」「トイレがきれいだと良い1日になる気がする」。使う人たちとの信頼関係があるからこそ、この町のトイレは、ずっときれいなのだろう。  文・昆野夏子/写真・市川和宏


昆野夏子(こんの・なつこ)=立川支局

 1995年生まれ、川崎市出身。2018年に入社し、名古屋本社整理部、豊橋総局などを経て2023年から社会部立川支局。多摩地域の司法とスポーツ、西部の自治体を担当。広大な担当エリアを自家用車でひたすら移動するため、運転中はお笑い芸人のラジオばかり聴いている。子どものころから野球観戦が大好きで、野球取材がしたくて記者を志した。現在は念願叶って関東の高校野球全般を取材しており、春夏の甲子園出張が生きがい。▶▶昆野夏子記者の記事一覧


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