2日に宮崎空港で発生した、不発弾爆発事故。爆発したのは太平洋戦争中に米軍が投下した500ポンド爆弾だと判明している。誘導路は直径およそ7メートル・深さ1メートルにわたって陥没。爆発の2分前には近くを航空機が通過、あわや大惨事だった。

宮崎空港は太平洋戦争中は海軍の飛行場で米軍から激しい空襲を受けていて今回爆発したのは当時投下されたものだとみられている。

この事故の翌日、那覇空港でも、新たに不発弾が見つかったー


▽斉藤鉄夫国交大臣
「不発弾が残置されている可能性がある空港でございますけれども、福岡空港、那覇空港、宮崎空港、仙台空港等でございます」

斉藤国交大臣は旧日本軍の施設だった4つの空港を再点検する方針を発表した。

旧日本海軍が管理する小禄飛行場だった那覇空港は、1944年10月10日に那覇の市街地などに壊滅的な被害をもたらした大空襲、いわゆる「10・10空襲」や、翌年の沖縄戦で、米軍の激しい攻撃を受けた。

その影響は今も残り、那覇空港事務所によると、今年に入って、宮崎空港の爆発事故が起こる前までに、機雷や5インチロケット弾など、7発の不発弾が見つかっていたという。

3日、那覇空港で発見された不発弾


3日も、管制塔から500メートルの資材置き場で、米国製60ミリ迫撃砲弾1発が発見され、爆発の危険性はなく自衛隊によって回収された。国交省は、まだ不発弾が残っている可能性があるとして、那覇空港での磁気探査を進めるとしている。

▽斉藤鉄夫国交大臣
「航空機の運航の安全に影響を及ぼしかねない事案であった。必要な対応を行い、引き続き航空の安全安心の確保を図ってまいりたい」

沖縄戦から79年を経てもなお、負の遺産は私たちの足元に眠り続けている。

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