いわゆる袴田事件で、半世紀にわたり死刑囚として勾留されてきた袴田巌さんに、9月26日、無罪判決が言い渡されました。私たちは、これまでこの事件に関わった裁判官のうち3人を取材。彼らは裁判の過程で「袴田さんは無罪だと思った」と語りました。

事件から58年経って 無罪判決

「袴田事件」のやり直し裁判の判決を、特別な思いで見届けた人がいた。

テレビ音声
「速報が入ってきました。静岡地裁は袴田巖さんに無罪の判決を言い渡しました」

熊田俊博さん(75)。約40年前、袴田事件の審理に関わった元裁判官だ。今回の無罪判決に…

熊田俊博 元裁判官
「関わってきた裁判官、検察官、再審請求を棄却してきた裁判官。誤判に関わったということで非常に責任が重いと思います。私自身は裁判官として関わったので、私も(責任をとるべき人に)入っていますよね」

袴田巌さん(88)。姉のひで子さんが、さっそく無罪判決を伝えた。

袴田さんの姉・ひで子さん(91)
「裁判長さんが無罪だって、これでもう終わったでね、安心しな。わかる?わかるでしょ?」

袴田さんは、死刑執行の恐怖におびえながら48年間を過ごしてきた。精神的に不安定な状況が続く「拘禁症状」が今も色濃く残る。

半世紀以上、袴田さんが犯行の時に着ていたとされてきたのが、血の付いた、いわゆる「5点の衣類」だ。

26日、裁判所は「捜査機関によって血痕をつけるなどの加工がなされたねつ造証拠」と断じた。

58年に及ぶ袴田事件は、「5点の衣類」を裁判官がどう判断するかの歴史だった。

報道特集は、「袴田事件」に関わった3人の元裁判官を取材。実はこの3人、裁判の過程で「袴田さんは無罪」だと思っていた。

それにもかかわらず、なぜ袴田さんは長きにわたり、死刑囚で在り続けたのか。

「死刑」に反対した元裁判官

袴田さんは無罪だと思っていた1人目の元裁判官、熊本典道さん(故人)。

1968年、1審・静岡地裁で袴田さんに死刑判決を下した裁判官の1人だ。

判決から約40年後、会見を開き、「本当は無罪だと思っていたが、やむを得ず、死刑判決を下した」と異例の告白をした。

熊本典道元裁判官
少なくとも今まで出ている証拠で、有罪にするのは無茶だと思った。まさかこんなところで私の声を聞いてもらえるとは思わなかった」

1966年、静岡県の旧清水市で、みそ製造会社の専務一家4人が刃物で刺され、火を放たれて殺害された、いわゆる「袴田事件」。

警察は、住み込み従業員の袴田さんを逮捕する。決め手は袴田さんの部屋から、わずかな血痕がついたパジャマが押収されたことだ。

熊本さんが最初に疑問を抱いたのが、袴田さんの“自白”。

26日の判決で静岡地裁は、「“自白”は非人道的な取り調べによって獲得された捜査機関によるねつ造証拠」と言い切った。

取り調べの録音テープ(逮捕当日・1966年)
袴田さん
「あんたがたがね、それだけ自信を持って言ってるけど、他に犯人が挙がったらどうする?」

取調官
「他に犯人挙がったら?ないだろ。挙がりっこない」

取調官
「挙がりっこないよ」

袴田さん
「挙がる。必ず挙がる」

取調官
「他にな、出るわけない」

袴田さん
「専務をなぜ殺さなきゃならないんだよ。俺、本当に世話になって。心から専務には仕えてたよ。よくもやりやがったな俺を。なんとか真面目にやろうと思ったのに。あんたがたこそ人殺しだよ」

警察は、容疑を否認する袴田さんに平均12時間、最も長い日で17時間近くに及ぶ取り調べを行った。

取り調べの録音テープ(逮捕から18日後・1966年)
取調官

「本当に意気地のない野郎だな。え?なあ。意気地のねえ弱虫だな、てめえは。え?」
「いいことをしたのか、悪いことをしたのかどっちだ?袴田。おめえがな、人に褒められるようなことしたのか、悪いことしたのか、どっちだと言うんだ」
「聞こえないのか?なあ。本当に聞こえないか。お?袴田。返事しろよ、返事を。袴田君。袴田君」

袴田さん
「聞こえますよ」

逮捕から20日後、袴田さんは「パジャマ姿で犯行に及んだ」と自白する。

熊本典道 元裁判官
「私にしてみれば、他に確たる証拠が無いから自白をとらなきゃどうしようもないなと、調べたんだろうと思った。ところがいざ自白をとってみると、認めるわけにはいかん証拠ですよね

一度は自白した袴田さんだが、裁判では一転、否認する。すると突然、“新たな証拠”が出てくる。

事件から1年2か月が経過した裁判のさなか、一度は念入りに捜索されたはずの、現場近くのみそタンクから血まみれの衣類が見つかったのだ。

シャツやズボン、ブリーフなど、あの「5点の衣類」だ。

警察は袴田さんの実家を家宅捜索。すると、タンスからズボンの切れ端が見つかり、その場で「これは『5点の衣類』のズボンの切れ端だ」と報告した。

検察は、すぐに犯行着衣をパジャマから「5点の衣類」に変更したのだ。

熊本典道 元裁判官
「なんで今頃?大体誰が?どうしてああいうものがみそタンクに入っていたんだろう?検察側にとってみれば『新しい証拠が出てきたよ』。私の立場からすれば『あれ?またなんかやったのかな?変なことしたんじゃないの?』っていう受け取り方」

「5点の衣類」と「自白」に対する熊本さんの疑念は膨らみ、一度は「無罪」の判決文を書いたという。

しかし、3人の裁判官のうち他2人の裁判官が死刑を支持。熊本さんは、一転して死刑の判決文を書く役割を任せられる。

熊本典道 元裁判官
「『こんなもの書けるか!』と先輩に向かって言ったことは覚えています。そういう方に裁判長が気持ちが傾き始めてから、僕の心の中は煮えくりかえるような気持ちですよね」

結局、一審では袴田さんに死刑判決が言い渡された。

犯行着衣がパジャマから「5点の衣類」に切り替えられたことについて、判決は「当初、袴田さんが『パジャマ姿で犯行に及んだ』と嘘の自白をした」とした。

熊本さんは抵抗の証として、判決文に異例の“付言”を書き加えた。

熊本さんが書いた“付言”
「このような本件捜査のあり方は、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が、二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する」

熊本典道 元裁判官
「どっかで、僕が悩んで判決書いたんだということ、無罪にするきっかけを(のちの裁判所に)掴んでほしいなっていう願いだね

しかし、熊本さんの願いは届かず、1980年、最高裁で袴田さんの死刑が確定。袴田さんは無実を訴え、裁判のやり直し、再審を求めた。

「最初から無罪」と思った元裁判官

袴田さんの無罪判決をテレビで見届けた、熊田俊博さん(75)。袴田さんは無罪だと思っていた2人目の元裁判官だ。

熊田さんは、袴田さんが静岡地裁に対して求めた、再審請求の審理に関わった。

熊田俊博 元裁判官
「私の心証としては、これは再審開始の方向だなと。私はもう最初から無罪だという風に思っていたものですから」

熊田さんも「5点の衣類」に疑問を抱いた。

熊田俊博 元裁判官
「(袴田さんが)拘留されてから1年2か月も経って、犯行現場のすぐそばにあるみそタンクの中から着衣が出てくるという発見の経過自体がおかしいわけですよ。当然、捜査段階で事件が起きれば、すぐみそタンクの中を丹念に捜査官が捜索するわけですよ。その段階で見つかっていないということなのに、1年2か月も経ってからそこで発見された」

開かずの扉とも呼ばれる再審。開かれるには「無罪であることを示す新しい証拠」が必要となる。

熊田さんも参加した協議の場で、弁護団は、検察に対して証拠の開示を求めた。8か月が経って、検察が出してきた回答は…

検察の意見書(1985年)
「検察官は弁護人からなされた検察官未提出証拠の提出方要望に対し、これに応ずる意思はない」

熊田さんは、当時、裁判所にできることはなかったと話す。

熊田俊博 元裁判官
「(裁判所が)検察官に対し、証拠開示の命令をする規定もない。規定がないということは検察も裁判所の『開示しなさい』ということに対して、応えて、開示する法的な義務はない。再審の証拠開示に関する規定がないばかりに、ずっと苦労してきているわけですよ」

再審請求では証拠開示に関するルールが定められていない。そのため、弁護側が請求しても、検察は応じる義務はない。そして裁判所にも、証拠を提出させる法的な力はない。

熊田さんは、1987年、再審を開くかどうかを決める前に退官した。

その7年後、静岡地裁は「5点の衣類」が袴田さんの犯行着衣という認定を覆すことなく、再審の請求を棄却した。

なぜ、無罪の心証を抱く裁判官もいながら、再審は退けられたのか。

熊田俊博 元裁判官
「確定判決には何十人という裁判官が関わっている。(当時の裁判官には)よほどのことがない限り、『間違いない』という意識が強いと思う。よほど画期的な新証拠が出ないと、『確定判決を覆すことはできない』という意識が非常に強かったんじゃないかと思う」

44年後に新たな証拠が

重い再審の扉。ところが、弁護団に一筋の光が射す。

取り調べの録音テープや供述調書など、約600点に及ぶ証拠を2010年から検察が開示したのだ。この頃、刑事訴訟法の改正を受け、証拠開示の流れが進んでいた。

そして、こんな重要なものが出てきた。

袴田事件弁護団・小川秀世弁護士(2010年会見)
「カラー写真撮ってるんじゃないですか。今までカラー写真は出ていなかったんですよ」

あの「5点の衣類」のカラー写真だ。

弁護団は思った。「1年2か月もみそに漬かっていたにしては血痕が赤すぎる」。

弁護団は、血のついた衣類を、実際に一年以上みそに漬ける実験をした。

すると、血痕は黒っぽく変化した。弁護団は「『5点の衣類』の血痕に赤みが残っているのは、捜査機関が自らみそタンクに入れ、直後に発見されたため」と主張した。

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