300人収容のホールを満席にした88歳・米寿のお祝いが、浦添市で開かれました。沖縄のジャズ界を支えてきた4人のレジェンドによる一夜限りの夢のステージです。
米寿コンサートを企画したのは沖縄JAZZ協会。県内のプロ奏者と愛好家210人が在籍しています。
最年長ドラマーは金城吉雄さん、89歳。同じくドラマーの上原昌栄さんとサックスの松川光吉さん、石垣島在住のシンガー齋藤悌子さんは88歳です。
4人がジャズと出会ったのは、沖縄がアメリカの統治下にあったおよそ70年前。基地の中につくられた軍人のための娯楽施設でステージに立ち続けてきました。
▼沖縄JAZZ協会・喜納正香会長
「88歳になっても現役でまだジャズを楽しんでいて素晴らしい。僕らもあやかりたい」
コンサート当日。
本番のわずか3時間前に始まった、米寿レジェンドたちの音合わせ。
全力投球で臨んでいたのは上原昌栄さん。
▼ドラマー金城吉雄さん
「昌ちゃん、君のについていけない俺」
▼ドラマー上原昌栄さん(88)
「いやいや、大丈夫、大丈夫」
▼ドラマー上原昌栄さん(88)
「スワニーという曲でドラムをフィーチャーする。みんなの演奏を聴きながらビートにのっていく。それが私の喜びですね」
一方、大あくびの松川さん。余裕かと思いきや…。
▼サックス松川光吉さん(88)
「ステージで真ん中なんてやったことない、初めて。だから夕べ寝られなかったよ。睡眠不足」
少人数の即興演奏は得意な松川さんですが、大きなステージでのソロ演奏は初めて。
▼後輩のテナーサックス奏者
「すでにパワーをビンビン感じていて、ちょっと圧倒されそうなんですけど、本番は負けないように一緒に楽しんで演奏したい」
いよいよ本番。ジャズアレンジの「かぎやで風」で入場です。
▼ドラマー上原昌栄さん(88)
「米寿のお祝い、世界中をまわってもないようなお祝い。ありがとうございます」
幼い頃から父の奏でる琉球古典音楽を聞いて育った昌栄さん。高校時代に音楽教師に誘われ、ジャズの道に進みました。沖縄音楽とジャズが合わさったようなビートと派手なパフォーマンスで、会場の心を一気につかみます。
88歳で初めて、ステージ中央で演奏する松川さんは、嘉手納基地やコザのジャズバーで活動してきました。80代に入ってがんと脳梗塞を患い、指の感覚を失った時期もありました。この音色を取り戻すために、1日も欠かさず練習を続けてきたといいます。
この日、かつてのバンド仲間同士のステージも復活。悌子さんと吉雄さんは、高校卒業後、同じバンドに所属していました。60年ぶりに、ビッグバンドで歌います。
戦後、米軍によって沖縄に持ち込まれたジャズ。青春時代にジャズと出会い、夢中になった当時の若者たちは、今も演奏ができる喜びを込めて、力強い音色を響かせました。
▼観客
「人生最高の音楽でございました」
「4人の方のように年をとっていきたいなと思いました」
▼サックス松川光吉さん(88)
「ほっとした。どうにかできたから。また一生懸命、演奏やろうかなと思っている。自分だけでもライブやりたいなと思った」
▼ドラマー金城吉雄さん(89)
「(自分の演奏に)納得できない。絶対納得できない。体が言うことをきかない。手動かない。(とても格好良かったです)カッコだけでしょ。カッコだけじゃだめなのよ。先輩から培ってきたこのジャズ音楽をずっとつないでいってほしい。だから頑張っている本当に」
▼シンガー齋藤悌子さん(88)
「私の一番の生きがいですね。私からそれをとったら何にもない。本当に、それだけ。歌い続けられるところがあれば、どこでも行きたいなと思う」
▼ドラマー上原昌栄さん(88)
「ジャズは私の体の中に入り込んだひとつの宝物。生涯の大きな宝物としてこれからも続けていけばますます元気になると思う。元気になるためにもまた音楽を続けていきます」
4人のレジェンドたちは、米寿コンサートの次は97歳の“カジマヤーコンサート”を目標に練習を続けるということです。
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