午前5時半。御嶽山で一晩を過ごした人しか見られない、特別な時間がやってきます。雲海の向こう、南アルプスから顔を出す朝日が一面をオレンジ色に染める光景は、人々を魅了してきました。

(登山客)
「御来光が見られるとは思わなかったのですごくよかったです」
「こんなきれいな御来光は久しぶりです」

岐阜県と長野県にまたがる、標高3067メートルの御嶽山。この山が「活火山」であることを知らしめたのは、10年前のこと…。

2014年9月27日。紅葉シーズンで賑わう土曜日の昼前に、突然起きた噴火。噴石は時速300キロものスピードで登山客らを襲い、死者58人、行方不明者5人。戦後最悪の火山災害に…。

あの日から間もなく10年。いまではすべての登山ルートが再開し、平日でも、多くの登山客が訪れます。

(大野和之記者)
「見てください、雲がなくなり、きれいですよ」

歩き始めて4時間あまり、目の前には最高峰の剣ヶ峰が。この雄大な景色を目指して、去年、通行規制が解除されたこのルートには前の年のおよそ7倍、1万人あまりが訪れました。

(登山客)
「山の稜線を歩いている時は最高」
「きれいに晴れ間もあって楽しみながら登れました」

御嶽山噴火から10年 進む「山の安全」

山に安全を…。10年で様々な対策が進められてきました。

火口近くに位置し、王滝頂上と剣ヶ峰を結ぶ「八丁ダルミ」には、鋼鉄製の避難用シェルターが2つ。シェルターは15人から30人を収容できるもので、ことしは岐阜県側にも初めて設置され、あわせて9基に。

登山客には、ヘルメットを着用する人が目立つようになりました。

この10年の変化を、御嶽山で見てきた人がいます。9合目にある山小屋「石室山荘」を営む向井修一さん(60)。

(向井さん)
「30年いて嗅いだことのない強烈な硫黄臭だったので噴火だろうと。登山者に向けて大声で『避難してください小屋に入ってさい』と声をかけた」

火山灰が窓に貼り付き、日中にもかかわらず室内が真っ暗に。登山客らおよそ150人がここに逃げ込みました。

噴火後、山小屋にはヘルメットのほか、火山灰から身を守るためのゴーグルやマスクも100セット配備されました。

御嶽山の魅力を、最もよく知る人のひとりでもある向井さん。登山客を安全に迎えたい思いとともに、いま、心配なことも…。

(向井さん)
「ものすごく軽装で、噴火のこともよく分かっていない登山客もけっこういる。次の世代に繰り返し(噴火について)伝えていかなくてはと思う」

「息子を連れて帰る」手がかり探す父

10年の歳月で薄れゆく記憶。一方、片時も忘れることなく家族の帰りを待ち続ける人も…。

愛知県刈谷市に住む、野村敏明さん(64)と、弟の正則さん(61)。敏明さんの長男・亮太さん(当時19歳)は噴火に巻き込まれ、いまも行方不明のままです。あの日、亮太さんはおじの正則さんと一緒に御嶽山を登っていました。

(亮太さんのおじ 野村正則さん)
「当時一緒に登っていた亮太を待たせてしまっている。申し訳ないという思いの10年間でしかない」

この日は遺族らで作る「やまびこの会」の慰霊登山で2人は噴火と同じ時刻の午前11時52分。山頂で他の遺族らとともに手を合わせました。

(亮太さんの父 野村敏明さん)
「安らかになってほしいという意味を込めて手を合わせた。自分の息子もいるわけだから」

この山のどこかにいる亮太さんを、何とか見つけたい…。野村さんは何度も捜索に参加してきましたが、今後、長野県による捜索が行われない見通しになり、ことし初めて、山岳遭難などで実績のある民間会社に捜索を依頼しようと考えていました。

(亮太さんの父 野村敏明さん)
「親としてはどうにかして帰してあげたい」

2016年の捜索で見つかった、亮太さんのスマートフォンは野村さんの心の支えになってきました。

2年間、風雨にさらされていたにもかかわらず、奇跡的に電源が入り、そこには噴火の1か月前に撮影された花火大会の動画が…

風雨に耐えたスマホ 奇跡的に電源が… 残された息子の”声”

(亮太さんの声)「うわーすげえ、超きれい」

(亮太さんの父 野村敏明さん)
「亮太の声がこんなふうだったなと、これを聞くたびに思い出します。そうだ、そうだ、亮太の声だ、って」

これまでの捜索で当時、亮太さんが身に着けていたリュックやタオルなども見つかっていて、そのたびに野村さんは、亮太さんが「ここにいる」というサインを出しているのではないかと感じてきました。

(野村敏明さん)
「本人は帰ってきたいという思いが強かったと思う。可能性がわずかであっても何度もチャレンジすることで少しずつでも(可能性が広がれば)。諦めずにやっていきたいと思います」

そして、野村さんが依頼した民間会社による捜索が23日、初めて行われました。標高2700メートル付近から、急な沢になった場所をおよそ6時間、くまなく探していきます。しかし、亮太さんの手掛かりは、見つかりませんでした。

(野村敏明さん)
「この広い御嶽山の斜面を探せば探すほど、深みに入っていく感じもある。状況をしっかり聞いてアドバイスをいただきながら(今後について)考える」

安全対策が進み、風化の一端もみられる御嶽山。家族の帰りを待つ人にとって“区切り”にはならない、10年の“節目”を迎えます。

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