死者58人、行方不明者5人と戦後最悪の被害となった御嶽山の噴火災害から9月27日で10年となります。
残された登山者の捜索などにあたった警察官と、自衛隊員の証言から、当時の過酷な現場を振り返ります。


2014年9月27日土曜日、午前11時52分。

岐阜県との境にある御嶽山が噴火。

多くの登山者が噴煙に飲み込まれました。

山頂付近に取り残された人の救助と捜索活動。

当時、現場での活動に当たった警察官が、噴火から10年を迎えるのを機に過酷な状況を証言しました。

長野県警 淺岡真(あさおかまこと)管理官:
「これまで誰も経験したことのない、噴火災害現場、標高が3000メートルを超える高所の山岳地帯」
「隊員のほとんどが、噴火による被害の大きさに、心が打ちひしがれたのではないか」

県警本部の淺岡真管理官。

発生当日から20日間、関東管区機動隊・長野中隊の中隊長として、現場で指揮を執りました。

淺岡さんが山頂付近に入ったのは噴火の翌日。

目の当たりにしたのは、一面を覆っていた火山灰と、噴石の恐ろしさでした。

淺岡さん:
「山荘の屋根にも火山灰が50センチ前後積もっていた。噴石によって山小屋の壁や天井には無数の穴が開いていた」

噴煙が出続ける中、ガスを検知する機器などを装備して、活動に当たります。



淺岡さん:
「噴煙の音がジャンボジェット機のエンジン音のようなゴーっという大きい音が鳴り響く状況」
「視界も悪い時は1メートル先も見えないぐらいガスが充満した」

警察のほかに陸上自衛隊、消防が連携して進めた活動。

当時、捜索に当たった自衛隊員がSBCの取材に応じました。

陸上自衛隊松本駐屯地の佐藤雅也(さとう・まさや)さん。

90人ほどで編成された第二次派遣隊として、現場に入りました。

山岳地帯での有事に備えて、登山の訓練などを重ねてきましたが、噴火災害での出動は初めてのことでした。

佐藤さん:
「大きなもので、軽乗用車ぐらいの噴石がゴロゴロしている状態でした」

心肺停止状態の登山者を発見したときのことを振り返ります。

佐藤さん:
「火山灰を被った状態で、噴石の間とかにいらっしゃいましたね」
「心肺が停止していても要救助者扱いで搬送していたので、『頑張れ』『頑張れ』と言いながら警察と消防と一緒に搬送しました」

降り積った火山灰の中で行われた行方不明者の捜索では、ゾンデ棒と呼ばれる金属製の棒が足りず園芸用の支柱も使いました。

佐藤さん:
「捜索漏れがないようにですね一列で前進して捜索しました」


ただ、日を追うごとに火山灰にある変化が・・・。

佐藤さん:
「当初は火山灰も軽くて歩くのに支障もなかったんですが、途中から台風の接近で降雨になって泥ねい化してしまって、非常に困難な状況になっていました」

雨と混じり泥のようになった火山灰。

埋もれてしまい悪戦苦闘する隊員の様子も、当時の映像に残されています。

さらに10月に入ると現場には雪が降り、今度は火山灰が凍りつきます。

佐藤さん:
「凍結してしまったら棒は(地面に)入らなかったので、スコップで掘り返す作業に変わった」

不安定な天候も追い打ちをかけ、中断を余儀なくされる日も相次ぎました。

捜索を何度も阻まれる状況に県警の淺岡さんは、当時、心境をこう述べていました。

淺岡さん:
「率直な気持ちは歯がゆい。2次災害を出してはいけないというところで、現場指揮官はとても判断に悩んでいる」

そして、発生から20日経った10月16日。

阿部知事:「断腸の思いではございますが、大規模な捜索救助活動につきましては、本日を以って終了するということを決断いたしました」

20日間にわたって行われてきた救助捜索活動は、2次災害の危険性が高まったことなどから、打ち切りに。

延べ1万5000人が活動に当たり、11人を救出、56人の遺体を家族のもとに返しましたが、6人が行方不明者として現場に残されることになりました。

翌日、現場を後にする隊員には涙も。

現場の過酷さが伝わってきました。

翌年の夏、9日という期間限定で行方不明者の再捜索が実施されます。

淺岡さんは中隊長として、再び現場に向かいました。



淺岡さん:
「要救助者全員を必ず見つけて、部隊と共に下山をして、ご家族のもとへ連れて帰ることを考えていた」

ドローンや金属探知機なども使い、必死の捜索が行われましたが、男性1人を発見したものの、5人の行方不明者を見つけられないまま、活動を終えました。

淺岡さん:
「5名の行方不明者が残ったことは無念の思いであった。ご家族に申し訳ないという気持ち。捜索活動に全力を尽くしましたので、捜索活動自体に悔いを残した者はいない」
「発生してからあれがないこれがない知識がないということでは救える命も救えない」
「事前知識や情報によって臨機応変に対応できるかどうか、これが大切なんじゃないかと思います」

陸上自衛隊松本駐屯地 佐藤雅也さん:
「何があっても対応できるよう訓練は日頃からやっているつもりではありますが、さらに強化していきたいと思っている」

噴火災害から10年。

壮絶な現場を経験した隊員たちが、次の災害への備えの大切さを伝えています。

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