毎年10月7・8・9日の3日間行われる「長崎くんち」。1634(寛永11)年に高尾と音羽二人の遊女が「小舞」を奉納したことから始まります。国指定重要無形民俗文化財に指定されている、長崎の氏神・諏訪神社の秋季大祭です。2024年は7つの町が踊りを奉納予定。本番に向けて、大人も子どもも町を上げて稽古に励む「長崎くんち」は日本一練習する祭りとも言われ、その完成度の高さは一度見た人の心をとらえて止みません。コロナ禍で3年間の休止を挟み、10年ぶりの出演となることしの7か町。本番までの稽古の様子を諏訪神社前日の奉納順にシリーズでお伝えします。
「第五番」は麹屋町の「川船」です。週6日の稽古を重ね、「押せ曳け廻せ」を合言葉に荒々しい船廻しを目指します。
長さ6.5メートル、重さおよそ3トン。
今回が9回目の奉納となる麹屋町の「川船」。
現存する川船の中で最大級の船といわれています。
根曳・山口大樹さん:
「声だったり体だったり全力で一生懸命出し切るつもりです」
網打船頭をつとめるのは小学5年生の久米緩征さんです。
網打指導・根曳 堤由馬さん:
「ゆっくり 大きく こう 上にね」
網打の先輩でもある根曳の堤由馬さんの指導のもと、一網打尽を狙います。
網打船頭・久米緩征さん(小5):
「投げるときの左手が難しいです。まだうまくできないけど、ちょっとずつ上手くなってます。」
網打指導・根曳 堤由馬さん「上にね OK」
長崎市中心部を流れる中島川沿いに位置する麹屋町。古くは染め物に関わる職人が多く集まっていたため「新紺屋町」と呼ばれていたが、味噌や醤油を作る際に使用する麹職人が多く集まってきたことにより「麹屋町」へと改称されました。
くんち本番では、中島川にちなんだ2匹の鯉が船にあしらわれ、鯉が水しぶきをあげる演出が長坂を盛り上げます。
「1・2・3 オイショー よしいこう」
船を使った本格的な稽古が始まったのは7月中旬。
2024年の奉納では、長い町の歴史の中で初めて囃子方全員を女子がつとめます。根曳衆は22歳から54歳までの22人、約3分の1が新人です。
交代要員はおらず、全員がレギュラーです。
新人根曳の一人、坂本明洋さんは7年前、町内に新居を建てたのがきっかけで初出演。
「パパが出るなら自分も出たい」と、長女の遥さんも囃子方として出演することになりました。稽古を通して親子のコミュニケーションも深まっています。
坂本明洋さん:
「子どもと親で一緒に一つの目標に向かって取り組むっていうことがなかなかないので貴重な経験をしてるなと思います。せっかく一緒に出れるので自分の頑張っている姿をしっかり背中を見せたいなと思っていますね」
坂本遥さん:
「(根曳のパパは)かっこいいなと思います。パパが頑張っているから自分も、声も囃子も頑張ろうと思う。」
稽古は週6日、押せ曳け廻せを繰り返し動きを体に染み込ませます。
最大の見せ場は5回転「梅の風車」です。
根曳頭・大久保健一さん:
「3回転めくらいから減速するんです。だんだん減速していって、最終的に5回転するんですけど5回転まともに廻ったことがない。」
根曳衆がその日の反省を共有するためのノートは7月の稽古始めから数えて約50ページにも及んでいます。
根曳衆の中にはかつて囃子方を経験した人も。
前々回、囃子方として出演した八木翔太郎さんです。
根曳・八木翔太郎さん:
「こうやってこう参加するのが17年ぶりとかなので、気が引き締まります。」
ところが稽古が本格化する夏場、八木さんをアクシデントが襲います。
八木さん「一時離脱すみません!」「ねん挫です。後退する一歩目で外側にぐりっと。」
稽古中のけがで船廻しからの離脱を余儀なくされた八木さん。
それでも稽古には欠かさず参加し、外から見た気づきやアドバイスを伝える役目を果たしてきました。
稽古に復帰できたのは、けがからおよそ3週間が過ぎた先月下旬。船から離れている間に、格段に上がった船廻しのスピードに付いていくのがやっとでした。
八木さん:
「落ちてましたね体力。最初の回転では感じなかったんですけど演技を重ねるにつれて腰を落とすのに足がプルプルなって、1から鍛えなおさないとなと思いました。」
一人ひとりの思いを乗せて、いざ10年ぶりの奉納へ。
稽古はいよいよ仕上げの段階です。
長采・山本泰弘さん「仲間意識が芽生えていいチームになったと思う。麹屋町らしいがむしゃらな荒々しい、もうとにかく四の五の言わんでやるだけですよ。」
本番までー全員全力で駆け抜けます!
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