新宿に程近い大久保尋常小学校・国民学校(現在の新宿区立大久保小)で戦前・戦中に学んだ卒業生が、当時の遊びや学校生活、空襲体験などをつづった文集「戦争の中でぼくらは育った―戦時下を生きた最後の世代からの伝言」(東京書籍)が刊行された。中心となったのは90歳を超える2人。「生きているうちに戦時下の体験を残しておきたい」との強い思いが、一冊に結実した。

ベーゴマで遊ぶ子どもたち。男の子はみんな丸刈りだった(イラスト・青柳安彦さん)

◆新宿・大久保小学校のOB2人が尽力

 中心となったのは「大久保の歴史を語り継ぐ会」代表で、1942(昭和17)年卒業の小尾(おび)昭さん(94)=新宿区=と、幹事で45年卒業の青柳安彦さん(92)=埼玉県和光市。  青柳さんは88年に母校を訪ねた際、教師たちから戦災で焼ける前の大久保について熱心に聞かれたのをきっかけに、45年卒の仲間と、戦災前の大久保の地図を手作りで作成。さらに41~43年卒の同窓生らと交流するうちに文集作りの機運が高まり、2007年に有志で私家版「風、光りし大久保―少国民の見たある町」を完成させた。  23年には別に「あの時代の私たち―『戦争を見た』最後の世代から『戦後一〇〇周年』の世代へ」の原稿をまとめた。その後、青柳さんが昭和30年代に撮影した写真を紹介した21年の東京新聞の記事(記事末尾の関連記事参照)を読んだ出版社の編集者と縁がつながり、二つの本を再構成・編集して出版する話がまとまった。

◆兵士との会話、遊びの工夫…戦時下のリアルを記録

中心となって文集をまとめた青柳安彦さん

 本に描かれているのは、日中戦争から太平洋戦争に至る戦時下の子どもたち。近くの戸山ケ原射撃場に通う近衛連隊の兵に「兵隊さ~ん、タマおくれ!」と頼んで、つぶれた弾をもらったこと、1940年の紀元2600年祝賀パレードの花電車を追いかけたこと、42年4月に初めて本土が空爆されたドーリットル(ドゥーリトル)空襲で爆撃機を見たこと、45年4月13日の城北大空襲で学校が焼け、講堂に積んであった軍用品の缶詰を多くの被災者が物色していたことなど、体験した者でなければ語れないエピソードが満載だ。  戦時下でも工夫を凝らして遊ぶのが子どもたちだ。冬の校庭ではやったのは、相撲、馬跳びなど。夏は先にとりもちをつけた竹でセミやトンボをつかまえた。ベーゴマは学校では禁止だったが、路上にバケツを置いて1個1銭を賭けて取り合った。中でも一番の遊び場は、陸軍の練兵場があった戸山ケ原だ。「山あり谷あり広場あり、何をしても叱る人はいない」。陸軍の射撃場に潜り込んで珍しい銃弾を拾い「自慢のコレクション」にした。北の崖では「泥ぶつけ」をして「泥だらけになって遊んだ」。  校庭には鉄棒があり、大車輪などの技を競った。運動会では足の不自由な子のため、自由参加種目に逆立ち競争が加えられ、その子が優勝したという。

◆「生きているうちに形にして残そう」

戦前・戦中に過ごした小学校時代の思い出を語る小尾昭さん

 本には11人の文章が収録されたが、うち数人は他界したか、連絡が取れなくなった。小尾さんは「僕の周りに、もう小学校の同級生はいない。死ぬってことは人の経験も考えも一緒になくなるってことです。誰かが書き残しておかないと、戦争の生の記憶がなくなってしまう。だから生きているうちに形にして残そうと思ったんです」と話す。  ◆文と写真・加古陽治  ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。

書籍は208ページ、2750円



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