8月29日、国後島(後方)を望む洋上慰霊が行われた。旧島民や家族ら参加者は、交流船「えとぴりか」の甲板に設置された祭壇に花を供えた(常盤伸撮影)

<北方四島「洋上慰霊」に同行して>
 ロシアに不法占拠されている北方四島周辺の海上で、旧島民が船上から先祖を弔う洋上慰霊が8月から行われている。ロシアによる2022年2月のウクライナ侵攻で日露関係は戦後最悪の状況。ソ連時代から行われてきた旧島民の墓参など、ビザなしでの交流事業の再開が困難な中で、代替策として北海道と旧島民らでつくる「千島歯舞諸島居住者連盟」(千島連盟=札幌市)、「北方領土問題対策協会」(東京)が2022年夏から実施している。8月29日に行われた今年3回目の洋上慰霊(国後南コース)では、旧島民が国後島を望みながら、郷愁の念と返還への思いを新たにしていた。(編集委員・常盤伸)

◆旧島民や家族ら78人を乗せ根室を出港

 この日は、旧島民やその家族や関係者ら78人が参加した。午前9時半ごろ、交流船「えとぴりか」が根室港を出発。小雨がぱらついていたが、しばらくすると国後島の泊山や羅臼山の山影がはっきり見えた。

8月29日、交流船「えとぴりか」の甲板から故郷の国後島を見つめる佐藤明子さん(常盤伸撮影)

 「すごく良く見えます。去年(の洋上慰霊で)は良く見えなかったのでほっとしました」  甲板のベンチに座って島を見つめていた国後島泊村出身の佐藤明子さん(83)は感慨深げにそう話した。国後島は野付半島からわずか16キロしか離れていない。

◆79年前、島を追われた記憶と重なるウクライナ

 79年前の1945年8月28日、ソ連軍の北方領土侵攻が始まった。ソ連侵攻当時、4歳だった佐藤さん。赤軍兵士の上陸後、泊郵便局に勤めていた父の正彦さんが機転を利かせて小さな船をチャーターし、佐藤さんや母の萩さんら女性や子どもを先に島から根室に脱出させてくれた。

8月29日、船内の大食堂で、千島連盟が制作した国後島泊村の旧住宅地図をテーブルに広げ、自宅のあった付近を指さす佐藤明子さん(常盤伸撮影)

 船が根室に到着した時の光景を、今も鮮明に覚えているという。市内は米軍の激しい空襲で焼け焦げた建物が並んでいた。佐藤さんは、ロシアのウクライナ侵攻が続く中、島を追われた自分と、ウクライナの子どもたちを重ね合わせる。「ニュースを見ていると悲しい。ウクライナの子どもたちの逃げ惑う姿が、自分(と同じ)だなと思えて」

◆甲板上で慰霊式、旧島民の霊に領土返還誓う

 午後1時、慰霊ポイント付近を低速で航行する船の甲板で慰霊式が行われた。旧島民関係者を代表して、千島連盟の小泉和生理事が追悼の言葉を述べた。

8月29日、洋上慰霊で、国後島を背にして甲板に設けられた祭壇に向かって追悼の言葉を述べる千島連盟の小泉和生理事(常盤伸撮影)

 「ふるさとの大地を踏みしめることができなかったことで、かえって北方領土返還への思いを強くした。島民がふるさとを追われてから79年の歳月が流れた。しかし、私たちは諦めることなく皆さまのご遺志を受け継ぎ、一日も早い北方四島の返還を目指し、さらに粘り強く返還要求運動を全力で取り組むことを誓います」  小泉さんの父、敏夫さんは色丹島出身。千島連盟の理事長を23年間務め、返還運動の先頭に立ち、8年前に亡くなった。

◆ロシア準軍事組織の大型警備艇がぴったり並走

 国後島の手前の海上からは、ロシア国境警備局の大型の警備艇が「えとぴりか」を監視していた。形状から「スベトリャーク型警備艇」(10410号計画型哨戒艇)とみられ、慰霊式の最中は動きが見られなかったが、「えとぴりか」が根室港に向け速度を上げると、ぴったりと併走した。

8月29日、国後島寄りの海域で、「えとぴりか」と併走し洋上慰霊を監視するロシアの国境警備艇(常盤伸撮影)

 国境警備局は日本の海上保安庁と異なり、プーチン大統領の出身母体であるソ連の国家保安委員会(KGB)の後継機関・ロシア連邦保安庁(FSB)に属する。ロシア国境軍という別名がある準軍事組織だ。  来年はロシアの北方領土占領から80年。旧島民の高齢化は著しいが、日ロ関係が改善される可能性は乏しい。佐藤さんは船内で行われた交流会で、「島から逃げてきた人々は、無念の気持ちを共通に抱える。父は亡くなる前に、自分を育ててくれたのは、国後の自然だと話していました」と感極まった表情を見せた。

◆サケ・マスやカニを取った思い出、孫につなぎたい

 今回の洋上慰霊参加者で最高齢となる国後島出身の佐藤政士さん(92)は、「川でサケやマスをとったり、干潮の時には膝をまくってたくさんの花咲ガニをとったのが楽しい思い出。これから孫にバトンタッチしていきたい。島が返ってきて北方領土で漁ができるようになれば」と将来への夢を語った。

8月29日、洋上慰霊の出発前に交流船「えとぴりか」を背に記念写真に収まる参加者(常盤伸撮影)

 今回の洋上慰霊では、国後島の北に位置する北方領土最大の島、択捉島を見ることはできなかった。根室に戻った後、千島連盟が運営する千島会館で行われた会合では、択捉島の旧島民の家族から、もどかしい思いも吐露された。  ロシアの対日強硬姿勢は留まるところを知らない。ロシアが「対日戦勝記念日」とする9月3日、択捉島や国後島、色丹島では軍事パレードが行われた。反日キャンペーンの一環として昨年、「第2次大戦終結の日」から名称変更された。ロシアは北方四島を不法占拠した史実を歪曲(わいきょく)し、「軍国主義日本から解放した」という愛国プロパガンダをソ連時代以来、地元住民に刷り込んできた。北方領土の日本統治時代の痕跡も抹消されようとしている。

◆愛国主義に傾斜するロシア、墓参再開の見通し立たず

 根室の納沙布岬からわずか約3.7キロの地点にある歯舞群島の貝殻島灯台には昨年7月、一時的にロシア愛国主義の象徴ともいうべきロシア国旗や十字架、イコン(聖像画)が設置されるという挑発的な動きも見られた。今年8月にも、再びロシア国旗が掲げられていることが根室の海上保安庁によって確認された。ロシアがますます偏狭な愛国主義に傾斜する中、旧島民の墓参再開の見通しすら立たない状況が続きそうだ。

 洋上慰霊 北方四島との交流船「えとぴりか」に乗船し、国後島や歯舞群島と北海道本島間の根室海峡を分けるいわゆる中間ライン(日本政府呼称は「参考ライン」)の手前を巡り、船上から慰霊する。今年は8月20日から9月21日まで計7回予定。国後島付近を回る北と南の2コース、歯舞群島近くの計3コースがある。

8月29日、洋上慰霊を終え根室港に帰港した交流船「えとぴりか」(常盤伸撮影)



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