能登半島で素潜り漁を行う海女(あま)は、福岡県宗像市から移住したと伝えられています。能登の海にも広がる地震の被害、福岡の食卓にも影響を及ぼすかもしれません。

盆踊りの似たリズム 能登と福岡の漁師町

福岡県の無形民俗文化財に指定されている、宗像市鐘崎の盆踊り。

RKB 今林隆史
「独特の太鼓のリズムに合わせて、小さな子供からお年寄りまで参加する鐘崎の盆踊り、意外なルーツがありました」

400年の伝統があると言われていて、地域で大切に受け継がれてきました。

太鼓の叩き手
「小さいころに習ったというよりは、見て覚えたような感じですね」
Q.ルーツがどこだとか、聞いたことがありますか?
「全然分からないです」

「輪島の方やったかな、確か。そのへんから」

盆踊り振興会にはその起源が伝えられていました。

鐘崎盆踊り振興会 広橋折好 会長
「400年くらい歴史があると言われております。何も娯楽のなかった海女さんや若い衆が、能登半島の御陣乗(ごじんじょ)太鼓を持ってきたのがルーツと言われています」

漁期で能登と福岡を移動した海女 海流がつなぐ文化

勇壮な響きが特徴の御陣乗太鼓は、輪島市に伝わる石川県の無形民俗文化財です。なぜ、700キロ離れた宗像市鐘崎の太鼓のルーツが能登半島と言われているのか?それは、鐘崎が発祥と言われている海女が大きく関わっています。

鐘崎の海女は良い漁場を求め、海流に乗って能登半島まで出稼ぎに行っていました。季節移動を繰り返していた海女たちが太鼓のリズムを伝え、盆踊りに取り入れられたとみられているのです。

鐘崎盆踊り振興会 広橋折好 会長
「漁師さんが、あっちのをかじったり、こっちのをかじったりして今に至るから、御陣乗太鼓をそのまま真似しているわけやない」

400年前に移住した海女に伝わる方言

鐘崎の海女は、約400年前に能登半島に移住した、と伝えられています。その子孫が住む輪島市海士町。

海女がアワビを取る時に使う漁具には「大」の字が刻まれていて、鐘崎の海女が呪符として「大」の字を漁具に刻んできたのと共通しています。さらに「たわし」や「魚の骨」など共通する方言もありました。

Q.たわしは?海女「そーら」 Q.魚の骨は?海女「えげ」

地震後に海女を驚かせた海底からの「泡」

素潜り漁を続けてきた海女。能登半島地震の後、海で起きた異変を目の当たりにしています。

輪島の海女漁保存振興会 門木奈津希 会長
「沖の方とかも、ポコポコ出ている」「『何?』って感じ。見たことないから。気持ち悪かったです」

海底から噴き出しているという「泡」。九州大学の菅(かん)浩伸教授はその謎に迫る調査を行ないました。

九州大学浅海底フロンティアセンター 菅浩伸 教授
「一体この気体がどういう成分なのか。まず第一に『漁業者の方々に害がないのか』が一番心配されていますので、それを調べる」

輪島市沖の水深20メートルの海に潜ってみると――。

RKB 今林隆史
「人間の吐く息と変わらない大量の泡が、海底のいたるところから湧き出ています」

泡は1列になって噴き出していました。水深15メートルにも泡の列が…。生物が付着しておらず、最近できたとみられる岩盤の割れ目から出ていました。

九州大学は、この泡を採取して成分などを調べています。分析の中間結果が、輪島の海女らに報告されました。

九州大学浅海底フロンティアセンター 菅浩伸 教授
「いわゆる”危ない元素”は含まれていないことは分かりました」

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