近づく4年ぶりV 秋は”ビールかけ”の季節

9月12日時点で優勝マジックを「11」としているホークス。

藤井、松本裕樹といった救援投手陣の相次ぐ離脱も影響したのか、少し足取りが重くなった時期もあったが、仙台での連勝でチーム状態は上向き。4年ぶり優勝が近づいてきている。

2017年リーグ優勝 祝勝会

プロ野球の優勝といえば、直後に行われる祝賀会での“ビールかけ”。選手はもちろんファンも、選手が嬉しさを爆発させて大はしゃぎする光景をさぞ楽しみにしているだろう。

4年前のリーグVはコロナ禍

ホークスの最近のリーグ優勝は、4年前の2020年。コロナ禍のシーズンだった。

この年の祝勝会では、当然のことながら”ビールかけ”は無し。くす玉やクラッカーでささやかな「祝勝会」、というより「縮小会」にならざるを得なかった。

直近の”ビールかけ”は7年前

リーグ優勝に限定すると、直近では2017年。選手全員が背番号が記された赤いTシャツに身を包んだ。

2015年は黄色いTシャツ。それぞれ、その年の鷹の祭典カラーにちなんだ色だった。

ビールかけスタートの合図は、決まって選手会長。年によっては「まだまだまだ!」と一部のフライングを制止する場面もあった。

例えば2017年の場合、ビール3000本、コーラ480本、日本酒4斗樽が8つに一升瓶60本。これがおよそ30分で全て空っぽになるのだから凄まじい状況だ。

ダイエー時代には”炭酸水かけ”も

福岡移転後に初めて優勝したダイエー時代はというと、1999年、選手全員がやはり背番号付きの白いシャツを着用。言うまでもなく、ほとんどの選手が初めての体験だったわけで、要領も何もあったものではなかっただろう。

翌年2000年は類いまれな年。選手が掛け合ったのはビールではなく、なんと炭酸水だった。緑色のペットボトルに「優勝水」と書かれたラベル。

当時の親会社ダイエーの「ビールを商品として扱う以上、それを飲まずに掛けるなんて」そんな考えからだそうだが、これでは酔えない。今となっては不思議な思い出となっている。

かつてはユニホーム姿で乾杯→立食→”ビールかけ”

1980年代にさかのぼると、ある球団でこんな祝勝会の流れがあったと記憶している。

まず球団の上層部や監督が挨拶し、やがて乾杯の音頭。すると、ごく普通に紙コップに注がれたビールで「乾杯!」のあと立食へ。今ならこの時点で即、”ビールかけ”スタートとなるが、実に静かな祝勝会の始まり。

程なくして主力選手たちがテレビ局のインタビューを受け始める。選手たちの服装はと言うと、試合と全く同じユニフォーム姿。

当時はこれが普通で、いつしか優勝記念ロゴの入ったTシャツやキャップを身に付けるようになっていった。

しばらく経って選手会長が「そろそろ行こうか?」と合図をすると、ようやく”ビールかけ”がスタート。祝勝会の前半は、随分と落ち着いたものだったのだ。

”ビールかけ”元祖はホークス?

今や恒例となった優勝祝賀会での”ビールかけ”。一体いつごろ始まったのか?

ビール大手・キリンホールディングスのHPによると、日本で初めて”ビールかけ”を行ったのは、1959年(昭和34年)に初めて日本シリーズを制した時の「南海ホークス」だった、という説がある。

当時の南海は、4度日本シリーズへ出場しながら、セ・リーグ王者の巨人にことごとく日本一を阻まれている。1959年は、3度目ならぬ5度目の正直で初めて巨人を破った年。

当時南海に所属していた選手がアメリカでのプレー経験をもとに「シャンパンファイト」ならぬ「ビールファイト」のアイディアを提案し喜びを分かち合ったのだそうだ。

優勝は4年ぶりも”ビールかけ”は5年ぶり

この説にのっとると、日本プロ野球のビールかけ“元祖”となるホークス。

優勝すれば4年ぶりだが、”ビールかけ”は2019年の日本一以来、5年ぶりとなる。未経験選手もいる。

小久保監督は、監督としては初めて美酒を体で味わうことになる。さぞ盛り上がることだろう。

ファンもその光景を楽しみに待っている。

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