今月16日の敬老の日を前に、元気なお年寄りを紹介するシリーズ「きばっちょいもす」。3回目は、平均年齢78歳、おじいちゃんたちのハワイアンバンドです。

心地のよい音色を奏でるアロハシャツの6人組。鹿児島市を拠点にことし結成64年目を迎えた「K.Tハワイアンパラダイス」です。メンバーは72歳から84歳まで。平均年齢は78歳です。

田中健作さん(84)・内匠勝三さん(80)・外西秀幸さん(79)

伊地知孝文さん(77)・有川正人さん(77)・野崎輝徳さん(72)

最年長84歳の田中健作さんです。ハワイアンミュージックを始めて65年。ギター・ウクレレに、ボーカルを担当しています。

(田中健作さん)「やっていて楽しい、みんなと一緒に。リラックスした感じで心も穏やかになるし、素晴らしい」

レパートリーは200曲以上。去年から「年金支給日」のライブを始め、本番に向け月に2回、スタジオを借りて練習に励みます。

メンバーからは「兄貴」と慕われています。

(野崎輝徳さん)「半世紀付き合っているので、本当の兄貴」

(伊地知孝文さん)「学生時代に帰ったみたい」

(有川正人さん)「頑張りたいなと思う。兄貴の歳までは最低」

(外西秀幸さん)「頑固親父」
(田中健作さん)「歳とともに頑固になるんだろうね」

田中さんの自宅には、ハワイアンに欠かせないアロハシャツとハットが。

Q.何着ぐらいありますか?
(田中健作さん)「15着ぐらいあるんじゃないかな」

妻・百合子さんと出会った時の感動を歌った一曲も…。

(♪恋の指宿/田中健作さん作詞作曲)「なぜか心がふくらんで 二人で歩いたどこまでも サンライズ指宿恋の街」

Q.今の演奏どうでした?
(妻・百合子さん)「いいですね」

Q.今の曲は奥様へのラブレター?
(田中健作さん)「そんな感じでしょうね」

ラ・サール高校卒業後、早稲田大学に進学した田中さん。当時のハワイアンブームに乗り、鹿児島出身者でバンドを結成しました。大学卒業後は、計量機器などを販売する家業を継ぐため、鹿児島にUターン。仕事で忙しい中でも音楽活動を続けてきました。

転勤などを理由にメンバーは入れ替わりながらも、田中さんは初期メンバーとしてバンドを支え、県内外の音楽イベントに出演してきました。

(田中健作さん)「これはうちの弟がまだ元気だった頃かな…」

結成当時のメンバーには、田中さんの2歳下の弟・康隆さんもいました。田中さんが大切にしているのは、36年前に康隆さんらメンバーとともにMBCのテレビ番組に出演した時の映像です。

ハワイアンに欠かせないスチールギターの名手で、リーダーも務めていた康隆さん。プロからも一目置かれる腕前でしたが、10年前、腎臓の病気のため亡くなりました。

Q.康隆さんと一緒に舞台に立っているときはどんな感じ?

(田中健作さん)「リーダーで音をリードしていた。言い合いもあったが、こういう風にしたらいいのでは?とか。(今も)夢にも出てくるし、もうそろそろ来ていいんじゃない?って。弟は『バンドをするのにメンバーが足りない』と。だいぶ向こうに行ってるんだけど」

Q.上で演奏してるのかもしれないですね。
(田中健作さん)「やっているんじゃないかな」

田中さんがリーダーに就任し、新たなメンバーを加えて、6人で再スタートを切ったハワイアンパラダイス。康隆さんのスチールギターは引き継がれ、今も、共に舞台に立っています。

(スチールギター担当・内匠勝三さん)「これがいないと成り立たないというか。野球でいえばピッチャーがないと試合が始まらないようなもの。彼の代わりに代役のつもりで。代役にもならないんだけどね」

(田中健作さん)「ずっと永遠に内匠さんに使ってもらえれば…」

弟・康隆さんの思いを胸に。平均年齢78歳のバンドマンが癒しの音楽を届けます。

Q.いくつまで続けたいですか?
(田中健作さん)「10月25日が誕生日。85歳になるが、あと5年はやりたいな。90歳」

次の「年金支給日ライブ」は、来月15日午前11時半から、鹿児島市のよかど鹿児島で開催されます。

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