1997年4月、日本大使公邸人質事件解決後、演説するペルーのフジモリ大統領=リマで(共同)

 【サンパウロ=共同】1990年にペルーで日系人として世界で初めて大統領に就任し、96年に起きた首都リマの日本大使公邸人質事件で武力解決を指揮したアルベルト・フジモリ氏が11日、死去した。地元メディアが伝えた。86歳だった。  長女のケイコ氏は同日、X(旧ツイッター)に「がんとの長い闘病の末、父は神のもとへ旅立った」と投稿した。  フジモリ氏は在任中の人権侵害事件で服役し、恩赦による釈放と再収監を経て昨年12月、約5年ぶりに釈放された。服役中も心疾患などで入退院を繰り返し、今年5月には舌に悪性腫瘍が見つかったと公表、6月には転倒して骨折していた。  38年、リマ生まれ。現在の熊本市出身の移民を両親に持ち、国立モリナ農科大を卒業、同大学長を経て90年に大統領に就任。破綻状態だった経済を自由化により再建し、92年には左翼ゲリラ、センデロ・ルミノソ(輝く道)最高幹部を逮捕するなど治安改善に努めた。  再選後の96年末、別の左翼ゲリラ残党が日本大使公邸を占拠する事件が発生。地下トンネルを掘って軍特殊部隊を突入させる作戦を指揮し97年4月、127日目に日本人人質ら71人を救出した。  一方、3選後の2000年に側近の大がかりな汚職事件が発覚して失脚。日本で事実上の亡命生活を送り、05年、大統領選出馬を目指してチリに入国して拘束され、07年にペルーに送還された。  在任中に軍が市民を虐殺したとする人権侵害事件で殺人罪に問われ、10年に禁錮25年の実刑判決が確定、収監された。  フジモリ氏は次期大統領選への出馬を検討するなど政界復帰への意欲を示していたが、地元メディアによると、1週間ほど前から体調不良が続いていた。今月上旬には検査のため病院を訪れた。  日本国籍も持ち、チリ滞在中の07年には国民新党の比例代表候補として参院選に出馬し落選した。


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