「術後せん妄」ということばを聞いたことがありますか。全身麻酔を用いた手術のあと、患者が、幻覚や幻聴などの症状に見舞われる、意識の混乱のことです。天井に虫がはっている、誰かに襲われるなどの幻覚を見ることもあるそうで、混乱した患者が暴れてしまうこともあるそうなんです。

ただ、発症のメカニズムなど、いまだ分かっていないことが多い障害です。そんな「せん妄」への理解を広げようと、研究に取り組んでいる男性がいます。「看護の力」を信じた、その取り組みを取材しました。

VRで患者の気持ちを理解する

薄暗い部屋に鳴り響く、医療機器の無機質な音。これは、夜のICU(集中治療室)をVR(仮想現実)の技術を使って再現したアニメーションです。室内を360度見渡すことができ、ベッドに横たわる患者の気持ちを体験できます。

映像を制作したのは、山口県周南市の周南公立大学・看護学科の松浦純平教授。15年ほど前から「術後せん妄」を研究をしています。

周囲に暴力ふるうケースも

「術後せん妄」とは、全身麻酔を用いた手術のあと、急に幻覚や幻聴などの症状が現れる、意識の混乱のこと。天井を虫がはっている、何者かに襲われるなどの幻覚を見て混乱した患者が点滴など重要な管を抜いてしまったり、看護師など周りの人に暴力をふるってしまったりすることがあります。

認知症とは違い、急に発症し一定期間で回復するもので、特に夜間に起こりやすいとされます。診療科目にもよりますが、入院患者の3割から8割が発症するとされ、誰でもなる可能性があります。

松浦教授は、徳島県や三重県の病院で看護師として働いていました。これまで、何人ものせん妄患者に出会ってきました。

周南公立大学・看護学科松浦純平教授
「患者本人さんもつらい思いをしていますし、看護師さん側も対応に苦慮しているということがありましたので、そこで、せん妄を自分の力でどうにかしたいなというふうに思って」

メカニズムは不明、特効薬なく

せん妄は、患者の身体状況や環境など、さまざまな要因で発症するとされます。しかし、そのメカニズムにはいまだ不明なところが多くあります。「これをすればすぐに治る」という特効薬はなく、発症した場合、患者が暴れないよう体を拘束したり、鎮静薬を注射したりして落ち着かせるしかないのが現状です。

せん妄への対応は、看護師をはじめとする周りのサポートが重要です。しかし、見えないものが見えると訴え、時には暴れることもある患者への対応は、看護上の大きな課題でした。

松浦教授
「文字だけで、せん妄とはこういう幻覚が出てきますよということを習っても、やっぱりそこは自分のイメージとしてはなかなか落とし込めてなかったというのがあるので」

リアリティ追求し幻覚を再現

そこで松浦教授が目をつけたのが、現実に近い感覚を味わえるVR仮想現実の技術です。せん妄患者や看護師への聞き取り、自身の臨床経験をもとに、患者が見ている幻覚をアニメーションで再現しました。

せん妄患者がよく訴えるという、天井を虫がはっている幻覚、足元に誰かが立っている幻覚など、6つのパターンを作りました。せん妄患者が抱く不安や恐怖が伝わるように。大阪電気通信大学に技術面の協力を得ながら、細かい動きや音など、リアリティを追求しました。

看護師がVR映像を体感

VR体験中の看護師
「うわー怖い!うわー」

8月1日、周南市の新南陽市民病院で開かれた体験会では、看護師やリハビリ担当者などおよそ20人がこのVR映像を体験しました。あちこちで驚きの声が上がります。

特に反応が大きかったのは、兵士のような人物がベッドに横たわる自分に殴りかかるというもの。患者の見ている世界に近づけるよう、現実の人の動きをデジタル化するモーションキャプチャの技術を使って、自然な動きや臨場感を再現しています。

アニメーションと分かっていても恐怖を覚える映像。せん妄患者には、これが現実として見えています。体験会に参加したのは看護のプロばかり。実際にせん妄患者の対応を経験した人もいます。それでも、新たな発見があったようです。

体験した看護師
「思ったより近くで襲ってくるようなものとか、音とかも本当に耳元でざわざわ聞こえるので、なかなか寝られない苦しみが分かったような気がします。患者さんの恐怖とか不安とか、怖さとかが体験できました」
別の看護師
「本当、経験してみないと分からないっていうか。今回こういった場面を見て、恐怖っていうのをすごい感じたので、その共感をもとに患者さんの思いをくみ取ることができるのかなって」

苦しむ患者に「心から寄り添う」ために

不明な部分が多く、周りからも理解されにくい「せん妄」。今のところ、100%即効性のある治療法や予防法は確立されていません。だからこそ、いちばん近くで見守る看護師が患者の気持ちを理解することが大事。松浦教授はそう考えます。

松浦教授
「ただ寄り添うだけでは教科書にも書いてありますので、心から寄り添うっていう気持ちが私は非常に大事だと思いますので、疑似体験をして『こういう思いをしているんだ、だから寄り添う必要があるんだ』というところにつながっていくと、今後せん妄看護というところもだし、ほかの看護の原点にもつながっていくのかなと思っていますので」

せん妄患者の不安を軽くし、身体的な拘束をなくすために。「心から患者に寄り添う看護」でそれが可能になる。松浦教授の研究は続きます。

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