生徒「Aさん」が亡くなって2年半が経ち、Aさんの父さとしさんと、母みかさん(いずれも仮名)は、似た境遇にある親たちの会、「全国学校事故・事件を語る会」に参加するため神戸へ向かった。

(本記事は、沖縄県立コザ高校・空手部主将Aさんの自死問題を長期取材したドキュメンタリー番組「我が子を亡くすということ」を再構成したシリーズの第2回です。第1回記事はこちら)

Aさんの母みかさんは「語る会」参加のため神戸へ(2023年)



▽部活中に息子が熱中症で死亡した父親
「右手がけいれん、目が開いたまま、死戦期呼吸(生命に危険がある状態での呼吸)、寝転がった息子はこんな状態でした。「はーーー、はーーーー…」

▽いじめ被害にあった当事者の妹
「2階から飛び降りようとする兄の能面のような感情のない顔や、まとう空気がとても恐ろしく、兄の体を引く母の体を引くことしかできませんでした。あのときの、4人家族が3人家族になるかもしれないという恐怖は今もよく思い出します」

「語る会」では死亡事案やいじめ被害などの体験を遺族らが語った

2003年兵庫県で発足した「全国学校事故・事件を語る会」。

学校でのいじめや事故、教員のパワハラなどによって子どもを亡くした全国の遺族らが集まる集会は、これまで100回以上開かれている。

▽自死した生徒Aさんの母・みかさん
「ここに来ないと得られない情報があるので、(息子のために)できなかったこともしっかり振り返りながら、いろんな方の知恵やアドバイスをもらって」
「 (亡くなった)息子に会う時に、よく頑張ったねって言ってくれるような、親としてはそれぐらいしかできないので」

「全国学校事故・事件を語る会」に参加した両親

当時、Aさんの自死については再調査が始まっていたものの、遺族として今後何をするべきか、全てが手探りの状態。

全国の遺族がそれぞれの悩みを語り、対応策を相談しあう貴重な場所でもある「語る会」で、みかさんたちは、我が子を亡くした痛みにあえぎ、それでも闘ってきた遺族たちの助言に耳を傾けた。

(シリーズ「我が子を亡くすということ」第1回記事を読む)

遺族は苦しみながら、我が子がいない現実と向き合う

▽全国学校事故・事件を語る会 代表世話人 内海千春さん
「困ったときに、一番邪魔になるのは感情なんですよ」

経験から助言を送る、全国学校事故・事件を語る会 代表世話人 内海千春さん(左)


「いまだに思い出すのも嫌だけど、あの事件のときの感覚…」「今でもあの時のつらさ、切なさはあります。こらえるんです、こらえた上で、何を望むんだ自分は、とか…」

この会を設立した1人、自身も自死遺族の内海千春さん。

▽全国学校事故・事件を語る会 代表世話人 内海千春さん
「うちの息子は1994年9月に教員の暴行の直後に自殺しました」

「当時本当にぼろぼろになりました。子どもが亡くなったこともぼろぼろだし、もうひとつは、僕、その時は現職の中学校の教員だったんです。周りはみんな敵になるし、子どもは亡くす、未来も無くなる」

「鉛の球、鉛を飲んだような気持ちっていうか、それは常にあります」

内海千春さん

「受け入れられない自分がいるんだけども、それに折り合いをつけて生活ができるようになるまで、自分が変わらざるを得ないんですよね」
「そのためには七転八倒します、みんなのたうち回りながら、苦しんで、その人なりの向き合い方を模索していくというのがあるみたいですね」

▽生徒Aさんの母・みかさん
「重なるものが、いろんな目に映るものが、さっきも学生さんとか大学生とか見ていると、(息子と年齢が)近いんだろうなとか」

「しっかり向き合わないといけないなって思って。辛いけど、辛さを何かの力に変えるものがあるんだろうな…」

「語る会」参加のきっかけをくれた人がいた

みかさんに、この会への参加を促したのは大分県に住む遺族、工藤奈美さん。

みかさん(左)に「語る会」への参加を促した遺族・工藤奈美さん(右)

「沖縄で会ったときに、とにかくこの会を紹介したかった」

高校2年のとき、17歳で亡くなった奈美さんの息子、工藤剣太さんは2009年、真夏に行われた剣道部の厳しい稽古中に、熱中症にかかった。

部活中に亡くなった工藤剣太さん(当時17)

熱中症で倒れた息子に「演技だ」

意識がもうろうとし倒れた剣太さんに対し、当時の顧問は、「それは演技だ」と言って、驚くべき対応をした。

▽学校集会で発言する工藤奈美さん(2009年)
「(顧問から)ビンタを10発ほどされたそうです」

▽剣太さんの父・工藤英士さん
「何のための部活なんですか、人を殺すための部活なんですか」

顧問から暴力まで受け、重度の熱中症(熱射病)で死亡した剣太さん。両親は、顧問などとの8年近い裁判を経て、顧問個人の賠償責任を認める異例の判決を勝ち取った。

両親は顧問の賠償責任を認める判決を勝ち取るまで闘った

▽工藤奈美さん
「傷だらけになった夫婦なんですけど、傷だらけになった自分たちだから、私たちはどれだけ矢を受けてもいいから、これ以上後ろにこの矢を通さないように(再発させない)という気持ちで夫婦でやってきましたね」

「今回(Aさんの自死事案を)皆さんに知ってもらうために、息子さんに何が起きたのかをまとめて、って言ったんです。すぐやってくれたんですけど、この作業をするのは本当に苦しい。息子さんに何が起きたのか、どういう辛いことがあったのかは、通常、ふたをしていないと生活ができないんですよ」

▽生徒Aさんの母・みかさん
「文字に起こすとか言葉にするというのが辛いですよね。何年経ってもこれは拭えないのかな…でも工藤さんと会っていろんなことを得て、今ここにいる」

「息子のために今が頑張りどき」

「言葉にするのは辛い」が…伝えられる人になりたい、と語るみかさん


「沖縄ではこういったことは2度と起こってはいけないと思っていて、それをうまく伝えられるような人になりたい」

2度と起こってはいけないと「伝えていきたい」

みかさんは沖縄に戻ると、夫婦を支援してきた保護者有志の会のメンバーに、神戸で感じた思いを報告した。

▽生徒Aさんの母・みかさん
「誰かしらが気づいておかしいんじゃないって言ってくれたら、うちの子は命を絶たなかったのかなって、やっぱり思います」

支える「保護者有志」に心境を語るみかさん(2023年)


「(伝える役割を)やっていきたいって思うんですよ、(第三者委員の)報告書ができて、聞かないとか見ないとかじゃなくて、こういうことがあったんだよっていうのは知ってもらう、そこで皆さんの気持ちに何か変化が起これば。気づきが起こればいいって思うし、その気づきって絶対大切だと思う」

▽みかさんを支える「保護者有志の会」仲村晃さん
「強くなった」

「(何もなければ)強くならなくていいじゃん別に。でも強くならないと伝えられない。「一生背負っていく覚悟を感じるし、じゃあ(支援する)自分は何ができるのか、って思ったし」

息子の、声に出せなかった苦しみや思いを伝えていく。みかさんは、支えてくれる仲間と共に、自身の思いを伝えていく使命を感じていた。

(シリーズ「我が子を亡くすということ」を第1回記事を読む) ※第3回記事は9月14日(土)に公開します)

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