黄金色に輝き、頭(こうべ)を垂れる稲穂。
胆振東部地震で、大規模な土砂災害に見舞われた北海道厚真町幌内地区の農業、末政知和(すえまさ・ともかず)さんの田んぼです。
「実りの秋」を迎えるのは、あの日以来6年ぶりのことです。
末政知和さん(31)
「ようやく復旧して自分の田んぼで作ることができたのはうれしい気持ち。早く消費者にお米を届けたい」
大きな被害を受けた厚真町では、道路や農業用地の復旧は完了しましたが、約4300ヘクタールの森林は、再生のめどが立っていません。
6年前、最大震度7の揺れを観測した胆振東部地震では、災害関連死を含めて44人が亡くなりました。
土砂崩れで住民19人が犠牲となった厚真町の吉野地区には、地元の住民らが訪れて手を合わせました。
友人を亡くした町民
「ここまで来ました、やっと落ち着いたと友人に報告した。きょうよりあしたのことを考えてこれからも生きていこうと思う」
安平町の住職
「いつか必ず胆振東部地震があったことを知らない世代が出てくる。寂しさを背負って生きている遺族の思いを伝えていきたい」
大規模な地震が切迫している北海道内。
復興と防災を誓い、あらためて備えを確認する1日です。
胆振東部地震から9月6日で6年です。被害の大きかった地域では、住民らが犠牲者を追悼する姿が見られました。
6日正午から黙とうが行われた厚真町の慰霊碑の前には、大竹彩加アナウンサーがいます。
大竹彩加アナウンサー
「日が暮れて、空がピンクやオレンジ色に染まっています。午後6時過ぎのこの時間、風が少し吹いていて、長袖を着ていても肌寒いような感じです。いま、慰霊碑の前に来ていますが、こちらでは6日正午に、黙とうが行われました。ここから10分ほど離れた場所に献花台がありますが、地元の方だけでなく、札幌から花を手向けにたくさんの人が来ていました。むかわ町から来た50代くらいの女性は、お世話になっていた姉夫婦が被災して亡くなったということで、毎年献花に訪れているそうです。今年は花を手向けながら、
『おかげさまでここまでやって来られたよ』と、姉夫婦に報告したということです。地震から6年が経ちましたが、被災地では依然復旧作業が続いています。復興への歩みを続ける被災地の今です」
佐藤泰夫さん(69)
「立ち木が流されていくのがシルエットとして見えた」
厚真町に住む佐藤泰夫さん(69)。
米農家として、酒米やななつぼしなどを栽培しています。
佐藤泰夫さん(69)
「ここに昔(コメの)乾燥所が立っていて、土砂で流されてというか被災して」
佐藤さんも、胆振東部地震で被災したひとりです。
震災から6年。
佐藤さんは、妻や息子の生海(いくみ)さんらと共に復興を目指しています。
この日も、新たに始めようとしているハウス野菜などに使う水路を造る作業を生海さんと2人で行っています。
佐藤泰夫さん(69)
「その辺りの山の際から湧いて出ている水。水を利用して施設野菜をやろうかなと、それで今段取り…」
2人が作業している、この場所。
地震が起きた時は泰夫さんのいとこで同じく米農家だった佐藤正芳さんが暮らしていました。
正芳さんは、地震によって発生した土砂崩れに家ごと巻き込まれました。
佐藤泰夫さん(69)
「大丈夫かと言っても全然返事なくて、どこにいるかも分からないし。参った」
当時、正芳さんの家の向かいに住んでいた泰夫さんも自宅が半壊。
生海さんと2人で外に出た時に見えたのは、変わり果てたマチの光景でした。
正芳さんが見つかったのは、地震発生から3日後。
行方不明者の捜索で最後から2番目に発見されました。
遺体の損傷が激しく、最期の姿を見ることはかないませんでした。
唯一、形見として残ったのは、正芳さんが震災の年の春頃に買ったという重機です。
佐藤泰夫さん(69)
「ドアも開かなかったが何とかこじ開けて、今度は鍵があるかどうか分からなかったのだけど、(カップホルダーの)中に(鍵が)置かれていて(正芳さんが)使ってくれと置いてくれたのかな。使いたかっただろうな、買ってから使っていないのでは」
正芳さんが遺した重機を使って農地を復旧させ、この春、泰夫さんは正芳さんの土地を引き継ぐことになりました。
佐藤泰夫さん(69)
「将来的に山の際に建物を建てる気はないので、ちょっとした果樹などを育てようかと」
本業の米の収穫も、もうすぐ最盛期を迎えます。
佐藤泰夫さん(69)
「5~6年で何とか復旧できるかなと真剣にやってきたのだけど」
地震からの6年を振り返った泰夫さん。
この場所に安心して過ごせる休憩所を作ることが、いまの目標です。
佐藤泰夫さん(69)
「農地は動かす事ができないので、そこでやるしかないから、先祖からの農地を守っていければ」
大竹彩加アナウンサー
「佐藤泰夫さんは、住んでいた地域について、『7割程度復旧した』と話していました。その一方で、『農地はほとんど復旧したが、安心して住める場所ではなくなった。住民は軒並み引っ越してしまった』ということです」
被害の大きかった地域では、どうしてもそこから引っ越してしまう人が多くて、元の人口に戻らないという、人口の減少が加速するという影響も出ています。
災害が発生することは避けられないので、6年目の教訓も含めて、災害に強いまちづくりができるか、あらためて、1人1人防災意識を高める日にしてほしいです。
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