1923年の関東大震災から101年となった1日、大震災と太平洋戦争末期の東京大空襲による犠牲者を追悼する慰霊法要が、東京都墨田区の都慰霊堂で営まれた。主催者側が事前に台風10号の影響で安全を考慮し、遺族や来賓の参列を取りやめた。小池百合子都知事は出席せず、追悼の辞を代読予定だった中村倫治副知事らも参列しなかった。

関東大震災から101年となり、東京都慰霊堂では追悼法要が営まれた=9月1日、東京都墨田区の都立横網町公園で(奥野斐撮影)

 午前10時、震災の犠牲者らを追悼する法要が始まった。都慰霊協会が主催。読経の後、追悼文が霊前に供えられ、協会関係者らが手を合わせた。  関東大震災では約10万5千人が犠牲となった。慰霊堂がある都立横網町公園は当時、陸軍の軍服工場「被服廠」の跡地で、避難していた約3万8千人が火災に巻き込まれ命を落とした。

◆「震災はいつどこで誰が経験するか分からない」

 法要前に焼香に訪れた足立区の秋元紀子さん(47)は、祖父母が関東大震災で当時住んでいた麻布の自宅を焼失し、その後転居した現在の墨田区で祖父が東京大空襲に遭い、亡くなった。毎年焼香に来ており、「犠牲となった方々を思うと言葉もない。今年は元日から能登半島地震もあった。震災はいつどこで誰が経験するか分からない。犠牲となった方を思いながら、教訓を生かし、いま一度震災への備えを考えたい」と話した。

関東大震災時に多数の犠牲者が出た都立横網町公園の様子=9月1日、東京都墨田区で(奥野斐撮影)

◆小池知事、虐殺された朝鮮人犠牲者への追悼文は送らず

 公園内では、震災直後に虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典もあり、実行委員会が小池知事に追悼文の送付を求めたが、都は今年も送らない考えを伝えていた。  その理由について、小池知事は8月30日の記者会見でも、慰霊法要で「都知事として関東大震災と大戦で犠牲となられた全ての方々への哀悼の意を表している。震災による極度の混乱下での事情で犠牲となった方々も含めて、全ての方々に対し慰霊する気持ちを改めて表すということで対応してきた」と説明。多くの朝鮮人が虐殺された史実について「さまざまな研究が行われていると承知している」と繰り返し述べ、明確な態度を示していない。(奥野斐) 

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