戦前にアメリカから「友情の架け橋」として日本に贈られた青い目の人形は、太平洋戦争がはじまると「敵国の人形としてほとんどが処分されるという数奇な運命をたどっりました。現存するこの人形を通して、戦争を知らない子どもたちに友情と平和の尊さを伝える人たちの活動について取材しました。

青い目の人形「メリー」

赤いワンピースを着た人形。靴は壊れ、顔や手は色が落ちてしまっています。戦前にアメリカから贈られた青い目の人形「メリー」。

保管されているのは宮城県石巻市の桃生小学校です。

大郷町に住む雫石とも子さんは、この青い目の人形について2001年から調査しています。

この日は桃生小学校の元校長・佐藤実さんと小学校を訪ね、およそ20年ぶりに人形の保存状態を確認しました。

青い目の人形を調査する会 雫石とも子さん:
「そのままの人形が、メリーちゃんがここにいてくれたので、本当に久しぶりでうれしかったです」

数奇な運命をたどった人形

青い目の人形は、97年前の1927年から、3月3日のひなまつりの日に「平和と友好の象徴」として、1万2000体以上がアメリカから日本へ贈られました。

しかし、太平洋戦争が勃発すると、「敵国の人形」として、ほとんどが処分されました。宮城県に届いたのは221体。うち10体が見つかっています。いずれも学校や寺に隠され処分を免れました。

佐藤さんが桃生小にある人形「メリー」と出会ったのは24年前。校長として桃生小に赴任したときでした。

桃生小学校の元校長 佐藤実さん:
「ずいぶん古いなという感じ。顔もちょっと色が付いていたり。だってこれ小道具で使っていたから、それを物置に置いていたということだから」

学校に保管されていたメリー

戦時中、小学校の物置でひっそりと保管されていたメリー。佐藤さんは在職中に青い目の人形のことを学校のキャッチフレーズにも盛り込んで、児童たちにその歴史を伝えてきました。

佐藤さん、6年生11人に青い目の人形について語りました。子どもたちに人形ついて話すのはおよそ20年ぶりです。

講話での佐藤さん:
「先生はその(戦時中の)話を聞いたときにとても悲しくなって、人形たちに罪はないのになと。友情、平和ということについて、いつまでも残してほしい。最後に『戦争ほど残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない』これを青い目の人形とともに先生はいつまでも心に残っています」

講話での佐藤さん

青い目の人形を調査する会 雫石とも子さん:
「今は話を聞くことができる、おじいさんおばあさんの話が。でも、あと何年かたったら、もうそういう話は聞けなくなります。ぜひ、家に帰ったら話をしてみてほしい」

記念碑に刻まれる「人形の絵」

佐藤さんと雫石さんは、戦後にアメリカから贈られた2体の友情人形も紹介しながら人形の歴史と平和の尊さを伝えました。

桃生小学校6年生の児童:
「よく前の先生方が(人形を)守ってくれたなと思いました。初めて見たときは怖いなと思ったけど、今になると可愛いお人形さんだなと思うようになりました」
「この3体の人形は桃生小の宝物だなと思いました」

話を聞き終えた子どもたちは人形の絵を描きました。

桃生小学校は今年度で閉校し、来年度からは3つの小学校が統合した新たな桃生小学校となります。これを機に作られる記念碑に児童が描いた人形の絵が刻まれる予定です。

桃生小学校の元校長 佐藤実さん:
「人形を抱っこしている姿とか、そういうのは国境はないんだというのを改めて子どもたちの笑顔を見ながら感じました」

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