熊本市中央区にある『大甲橋』の近くにやってきたRKKの後生川凜アナウンサー。

この橋なんて読む?

スタッフ「今回は橋の読み方をリサーチします」

後生川凜アナウンサー「調べればすぐにわかりませんか?(笑) あとだいたい私この辺りの橋の名前知ってます。ニュースでも読んだことあると思うので、自信はありますよ!」

と、大見えを切って向かったのは、熊本市の中心部、白川に架かる『大甲橋』。その読み方は…。

後生川アナ「『たいこうばし』です。これは絶対」

しかし、橋の反対側にまわってひらがなで書かれた橋名板を見てみると…。

後生川アナ「うそ!どうしよう。『はし』えっ、たいこう『はし』なんですか?『ばし』だと思いますけど…」

実は、大甲橋だけではなく、すぐそばにかかっている『銀座橋』も…。

後生川アナ 「『ぎんざはし』と書いてあります」

さらに、童謡で有名な『船場橋』は…。

後生川アナ「電停にもひらがなで『せんばばし』と書いてあるので、ここは『ばし』でまちがいないでしょう」

橋に向かうと…。

後生川アナ「ハハハハハ『せんばはし』だ。また濁点ついてない。なんで?」

どの橋も書いてあるのは、「ばし」ではなく「はし」。

とはいえ、大甲橋を通る人たちは…。

近隣の中学生 「普通に『たいこうばし』」

近隣住民「『たいこうばし』。間違いない」

大甲橋のそばで50年続く、「日教社模型店」の店長も。

日教社模型店 八木紀彦店長「たいこうばし。自信ある」

近隣のみなさんはやっぱり昔から『たいこうばし』。でも看板は「はし」。

解決の糸口を求めて橋の説明書きを見てみると、大甲橋は100年前、熊本市電のために作られたという情報を発見!

というわけで熊本市交通局を訪ねたところ、そこに非常に貴重な資料が。

100年前は「はし」だった?「ばし」だった?

熊本市交通局 細井敏幸さん 「大甲橋の開業直後の写真(絵はがき)がありまして、これですね」

大甲橋ができた1924年当時に発行された絵はがき。その右上に書かれていたのは!

細井さん 「『Taikobashi(たいこうばし)』って書かれてますね。ローマ字で」

やはり本来は、たいこう「ばし」だったんです。

それでは、「はし」と書かれていた橋名板はいったい…。

そこで向かったのは、熊本市土木総務課。橋の入り口に書かれている橋名板は、なぜ「はし」と濁っていないのでしょうか。

橋名板が濁らない理由

飯干修一課長「通説としてなんですけど、川が氾濫すると水が濁るという事で、『濁らない橋』そう思いを込めて濁点を取ったのではないかというのが通説になっています」

そこにあったのは、安全を願う思い。

実はこれ、全国的に行われていて、工事などを行った際、正式名称が「ばし」と濁る橋も、橋名板だけは「はし」と変える所が多いのだそうです。

では、肝心の大甲橋の正式名称は。

飯干課長 「大甲橋は台帳では、たいこう『はし』となっています」

はっきりとした時期まではわからなかったんですが、どこかのタイミングで、正式名称まで「はし」に変わってしまっていたのです。

しかしこうなると、新たな問題が。

後生川アナ 「今後私ニュースで、『たいこうはし』って言えばいいんですかね…」

正式名称が「たいこうはし」だと知った以上、どうしたらよいか分からなくなった後生川アナ。そこで、改めてRKKアナウンス部の部長、木村和也アナウンサーに聞きました。

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