フランス・パリでは日本時間の29日、パラリンピックが開幕しました。
初のメダルの期待がかかるブラインドサッカーには、松本市の高校生、平林太一(ひらばやし・たいち)選手が出場します。


7月、東京都内の練習場に、平林太一選手の姿がありました。

松本美須々ケ丘(みすずがおか)高校の3年生。

ブラインドサッカー日本代表で最年少の17歳です。

平林太一選手:
「(日本代表に)選ばれたことで、また新しい目標が、メダルを取るという目標がスタートしたので、気を緩めずにやっていきたいと思っています」

視覚障害のあるフィールドプレイヤー4人と、ゴールキーパーの合わせて5人で戦うブラインドサッカー。

動くと音が出る、専用のボールを使います。

選手たちは、ボールが転がる音や壁にぶつかる音、それに声のコミュニケーションを通じて、自分の位置と、チームメイトや相手の選手などを把握しプレーします。

パラリンピック前哨戦となった、5月の国際大会。

世界ランク1位のアルゼンチン戦で、平林選手は先制点に絡む活躍を見せます。

さらに、これまで一度も公式戦で勝ったことのない中国戦では、平林選手のゴールが勝利をもたらしました。

平林太一選手:
「足元のコントロールだったりというのはすごく自信あるし、僕は点取ってこそなんで、やはりチームを勝たせる点を取りたいなと思ってます」

日本代表の若きエースへと成長した、平林選手。

一番の武器が、「音のしないドリブル」です。

研究を重ねた独特のタッチで、ほとんど音を出さずにボールを運べるといいます。

川村怜(かわむら・りょう)キャプテン:
「彼の突破からのシュートっていうのは、もう本当にワールドクラスなので、そこを日本代表の強みとして彼の武器として持って、もっともっとゴールを決めて、勝利に貢献してもらいたいなと思ってます」

中川英治(なかがわ・えいじ)監督:
「本当に世界のトップの選手になる道筋といいますか、この大会がもう既にそこのステージだと思ってるので、これがステップアップのための(大会)じゃなくて、もうここから爆発してほしいなと思っています」



長野県生坂村出身の平林選手。

1歳で目の病気が見つかり、4歳までに完全に視力を失いました。

小学1年生のころに出会ったのがブラインドサッカーでした。

母・平林小百合(さゆり)さん:
「見えないからって怖がったりとかはしなくって、もう何でも挑戦してたりしました。いろんなことやってみればいいなっていう感じで」
平林太一選手:
「一番やりがいがあるというか、迫力もすごいあるし、極めがいがあるっていう感じ」

小学2年生の時の作文発表:
「僕はサッカーをやっている時が一番幸せだ。なにがあってもやめたくない。みんなと一緒にできるのがサッカーだから」

学校のグラウンドや公園でボールを蹴り、毎月、東京のユースチームの練習に通って技術を磨きました。

県内のチームで公式戦に出るようになると、日本選手権で大会史上最年少ゴールを決めるなど頭角を現していきました。

現在も所属するのが、松本山雅B.F.C.(ビーエフシー)です。

中沢医(なかざわ・おさむ)代表:
「これは将来!って、もうその頃からずっと思っていたので、本当に夢を叶えてくれてすごく僕自身もうれしいです。とにかく落ち着いてプレーしてほしいなって思います」

小松祐樹(こまつ・ゆうき)キャプテン:
「本当に励みになりますし、松本山雅B.F.C.の代表として、太一に頑張ってほしいと思います」

監督を務める落合啓士(おちあい・ひろし)さんは、元・日本代表キャプテン。

平林選手の才能を見込み、日本代表に育てたいと指導に力を注いできました。

落合啓士監督:
「自分自身がパラリンピックに出られなかったので、そこは何か自分の気持ちを勝手にのせているのでうれしいですね。彼が本当に力を出し切ってチームの勝利を呼び込めたら、自然とメダルが来ると思うんで、本当に落ち着いて力を発揮してほしいです」

日本が初めてパラリンピックに出場した、東京大会。

当時中学生だった平林選手は、自宅で応援していました。



あれから、3年。

平林太一選手:
「もう本当に夢見ることしかできなかった舞台だったんですけど、思ったよりは早くたどり着けたのかなと思って、でも、たどり着いたからには、やっぱりもっと上を目指したいなという気持ちはありますね」

平日は松本で高校生活を送りながら自宅でのトレーニングをこなし、週末ごとに東京に行って日本代表の練習に参加してきました。

平林太一選手:
「本当に人生をかけて極めようと思ってやってきたブラインドサッカーなので。やっぱり期待してくれる人、応援してくれる人の存在が僕は一番大きいのかなと思ってます。そういう人たちに、勝利を届けたいというか歓喜の瞬間を届けたいと思っているので」

「俺が日本を勝たせます!今後はここに、メダルをかけて戻ってきたいと思います」

7月に母校で行われた壮行会で、力強く宣言した平林選手。

パリでの戦いは、1日に幕を開け、4チームで戦う予選で上位2位までに入るとメダルをかけた準決勝に進みます。

両親ときょうだいも、パリに駆け付けるといいます。

母・平林小百合さん:
「1点でも多く入れてもらいたいなと思います。(競技の性質上)声を出して応援できない分、点が入ったときにはワーッと大きい声で喜べるので」

平林選手にとっての初めてのパラリンピックが始まります。

平林太一選手:
「やっぱり、思い出して後悔のないように。もうやるしかないっていう気持ちです」

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