この夏、宮城県北部の伊豆沼で異色の経歴を持つひとりの男性が遊覧船の船長としてデビューしました。初めて目にしたハスの光景に魅せられ、船長となった男性の思いに迫ります。

新人船長の前職は漁師

登米市と栗原市にまたがる伊豆沼です。

はすまつりが始まった7月20日から期間限定で遊覧船が運航されています。迫会場の船長のひとり、平元幸児さん(41)です。この夏から初めて船長として伊豆沼を案内しています。

乗客:
「ずっと船長になるのが夢だった?」
船長 平元幸児さん:
「4年前に客として来て(船長を)やらないかと話をもらった。元々東京で漁師をやっていた」

平元さんは、千葉県に住んでいたスイス人の両親のもとに生まれ、17歳のとき日本国籍を取得。高校卒業後は、東京湾でノリ養殖や底引き網漁などの漁師をしていました。そんな平元さんが伊豆沼で船長となった理由とは。

ハスが広がる光景に圧倒される

2021年の伊豆沼です。5年前から美里町に住んでいる平元さんは初めて伊豆沼を訪れ、ハスの花が広がる光景に圧倒されました。

平元幸児さん:
「すごく綺麗で宮城県にこのようなところがあるのかと思った。せっかくある観光資源をもう少し盛り上げ、うまく今の時代に見合った形で皆さんに見せることが出来ればと思った」

その時、知り合ったのが、まつり実行委員会の会長を務める船長の高山勝之さんでした。

伊豆沼はすまつり迫地区実行委員会 高山勝之会長(79):
「正直言ってとても助かっている。俺の目に狂いはなかった」
平元幸児さん:
「元気いっぱいなので、こっちも負けていられない感じ。非常に面倒見がいいのでいろいろと助かっている」

高山さんは新たな担い手になってもらいたいと平元さんをスカウトしたのです。

高山勝之会長:
「本当にいい人に手伝ってもらった。平元さんと手を組んでここをもっともっと発展させたい

8月2日、平元さんの姿は、仙台市内のとある住宅にありました。平元さん、これから何をするのでしょうか。

平元さんの本業とは…

平元幸児さん:
「いまちょうど、リフォームをしている現場で、ガラスをこれからはめるところ」

実は平元さん。現在の本業は建築業です。この日は、伊豆沼で午後3時まで働いた後、仙台市の現場に入り作業を進めました。漁師の傍ら訓練校に3年間通いながら建築を学び、27歳で独立しました。

平元幸児さん:
「建築の方は本業なので、夕方に残っている仕事をやっている。一言で言えば自分の人生の中心的なもの。建築があって自分の人生がある」

仕事仲間からも慕われています。

仕事仲間の田中祥英さん:
「性格がいい。人受けがいい。仕事ぶりも真面目なので、お客さんの受けもかなりいい」

平元さんが移住するきっかけは…

平元さんが宮城に移住するきっかけとなったのが、2011年の「東日本大震災」です。当時は、千葉県内で住宅の新築工事を行っていたといいます。

平元幸児さん:
「仙台空港に津波が押し寄せるヘリコプターからのテレビ映像を見て、これは大変なことになっている。これは行かなければならないとその瞬間から思った」

震災発生後、すぐに被災地に入り、福島県や気仙沼市などで10年間、住宅再建の支援を続けてきました。

平元幸児さん:
「石巻市にいったのが一番最初で、見たときは涙が止まらなかった。被災した方のことを思ってすごく切なくなった。仕事を通して少しでも復興に貢献できればという気持ちでいっぱいだった」

当初は2年前に船長デビューする予定でした。

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