第二次世界大戦中、中国、当時の満州で戦死した父親の遺品が、約80年の時を越えて米子市の男性に返還されました。
それは、出征の時に寄せ書きをたくさん集めた「日章旗」。戦後、アメリカで保管され続けてきました。


8月26日、鳥取県日南町で開かれた催し。
1人の男性に、日章旗が手渡されました。

男性の目には、涙がこみ上げます。

▼男性にとって日章旗はどんな存在なのかー

23日、取材班は米子市内にある男性の家を訪ねていました。

火山司さん
「とにかく本当だろうかということと驚きですね」

火山司さん81歳。
驚いたのは、『父親の遺品が見つかった』と突然の連絡を受けたからです。


父である行一さんは、1943年に出征しました。
戦地に向かったのは、司さんが生まれたちょうどその日のことで、父の記憶は一切ありません。

中国、当時の満州で戦死したことは分かっていましたが、母親と2人暮らすなかでも、父について触れることはなかったといいます。

火山司さん
「父親の話を話題にするようなことはなかったですね。避けていたという訳でもなかったけれども、どちらからも話かけなかったと…」

▼出征から81年 戦死した父の遺品が見つかったー

そんな父の遺品が見つかったのは、出征から81年が経った、今年4月のことです。


初めて手にすることになった遺品。
それは、父・行一さんが地域の人から送られた寄せ書き入りの日章旗でした。

寄せ書きの中には、司さんが見覚えのある名前もあったそうです。

火山司さん
「寄せ書きして頂いた方の名前を確認したら、近所の方であったり、それから私の昔の知り合いのお年寄りだったりということで確信したわけです。

日章旗をいただいて、汗の臭いを嗅いで、どんな父親だったのかなということは感じるんじゃないかなとは思うんですけどね」

父の「日章旗」が見つかった場所は、遠い異国の地、アメリカ。


元アメリカ兵が戦利品としてアメリカへ持ち帰り長らく家に飾られていましたが、その孫、スコット・ステインさんが、この日章旗の意味を知り、2017年、遺族に日章旗を返還したいと考え、行動を起こしました。

戦時中の遺品の返還を通して、日本とアメリカの友好をはかる活動を行うアメリカのNPO法人「OBONソサエティ」へ日章旗の持ち主の遺族探しを依頼。

7年の月日を経て、ようやく司さんのもとへたどり着いたのです。

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