パリオリンピック™の女子7人制ラグビーでトライを決め、日本の勝利に貢献した秋葉区出身の原わかば選手がBSN新潟放送の単独インタビューに応じ、大舞台で決めたトライの裏側を語ってくれました。

帰省の合間をぬって、インタビューに応じてくれた原わかば選手。2度目のオリンピックをこう振り返りました。

「今回9位という結果で、メダルには届かなかったが、(東京大会から)これまで3年間積み上げてきた実績が成果として出て、勝利という形で恩返しできたと思うので、悔しい気持ちと正直ホッとしてる気持ちと2つの気持ちが入り混じっている」

全敗で最下位に終わった東京大会から3年。日本代表はパリで3勝をあげました。そして、南アフリカとの順位決定戦では、原選手が80メートルを独走し、オリンピックの初トライ!

原わか花選手
「ボールをもらった時点で、仲間がいいように相手をずらして、パスを回してくれたので、これは絶対にトライにつなげたい」

“新幹線わか花号”のキャッチフレーズの通り、日本が誇るそのスピードを世界に見せつけました。

「そのキャッチフレーズがあったからこそ、プレーを見てもらえたりとか、知ってもらえたので、すごく嬉しい」

持ち味であるスピード。その原点は、生まれ育った新潟市秋葉区にありました。

原わか花選手
「秋葉山の中で走り回って、自然と一緒に過ごした子ども時代だったので、新津だったり新潟の恩恵を受けながら、体だったり心が鍛えられた。近所の男の子たちと一緒に走り回ったり、鬼ごっこしたりとかして、それこそラグビーのスワーブきる動きだったり、加速するところが身についたのかなって思います」

大舞台で自らの強みを存分に発揮した原選手。その一番の力となったのは、家族の声援です。

「家族も見にきていたので、しっかりここでトライしたいと思いながら、パスを受けて走りました」

試合前には、両親からこんな言葉をもらったといいます。

「パリでは自分自身のプレーを信じて、自分を信じて思いっきり楽しんできなということを言ってくれたので、大舞台ではあったんですけど、特に緊張することもなく、まずこの舞台をしっかり楽しもうということで…」

パリには、同じくラグビーに打ち込む婚約者も応援に来ていたそうです!

オリンピックを楽しめたという原選手。帰国した後は、ふるさと新潟で大好きな家族と過ごしました。2人の妹たちは、戦いを終えた姉に…
「ここまでほんとよく頑張ったねと言って抱きしめてくれて…」

オリンピックはここで一区切りと話す原選手。今後は、地元の子どもたちと積極的に交流していきたいと考えています。

原わか花選手
「出身である新津ラグビースクールの子どもたちだったり、結小学校や、新津第二中学校の子どもたちのところに出向いて、一緒にラグビーしたり、体をたくさん動かしたりして、遊ぶことの楽しさみたいなものを伝えていきたい」

そこにあったのは、応援してくれたふるさとの方たちへの感謝です。

「皆さんのメッセージがあって辛い時でも楽しい時でも、いつもラグビーが大好きで、競技に打ち込むことができました。これからはラグビーという形でもですけど、いろんな形で皆さんに恩返ししたいと思います。今後ともたくさん応援していただくことがあると思いますが、よろしくお願いします。本当にありがとうございました」

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