終戦から79年。SBSテレビのアーカイブから、静岡県内に今もなお残る戦争の記憶を辿ります。(2015年に撮影・放送されたものを再構成したものです)【SBSアーカイブより】

【4】戦車が語る少年兵の記憶(静岡県富士宮市)
富士宮市上井出。かつてここに少年兵たちの訓練場がありました。

若獅子神社は太平洋戦争で散った少年兵の霊をまつっています。神社の一角には「九七式中戦車」玉砕の島、サイパンで少年兵が使用したといいます。

陸軍少年戦車兵学校には教職員1550人、14〜19歳の少年延べ4000人が在籍しました。少年戦車兵は「若獅子」と呼ばれ、憧れの的でした。2年かけて育成が行われましたが、戦局の悪化に伴い、最短では11ヶ月で卒業となり、戦地に投入されたといいます。戦死者は教員も含め600人を超えます。

「九七式中戦車」の運転窓の横には貫通した弾痕があります。内部からは軍刀二振りと遺骨が見つかったそうです。この戦車は終戦から30年が経った1975年(昭和50年)、戦地からこの地に戻りました。

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