「南海トラフ地震臨時情報発表中」と表示されている国道の電子掲示板
◆根拠があまりに薄弱
「この程度の情報を社会に出す意味が本当にあるのか」。2016~17年に臨時情報を作る上で地震学者たちが地震予測の可能性を検討した調査部会。部会を終えた委員の一人は当時そう話していた。 「不確実な情報を防災に生かす」として議論が重ねられた臨時情報。社会に大きな影響を与える情報にもかかわらず、それを支える根拠があまりにも薄弱なことから、2019年に運用が始まってからも、専門家からは同様の疑問の声が上がっていた。 科学的にどこがおかしいのか。名古屋大の鷺谷威教授(さぎや・たけし、地殻変動学)に聞くと、臨時情報の根拠となっている統計がそもそも問題だという。「内閣府が検討のために寄せ集めたデータ。学術的意義はほぼない」◆古すぎるデータ、信ぴょう性に疑問
南海トラフ地震臨時情報巨大地震注意(注意情報)の統計とは、1904~2014年に発生した世界の地震データで、マグニチュード(M)7の地震後、7日以内にM8以上の地震が起きた例は1143回中6回としている。 だが、これらの事例は南海トラフのような「海溝型」だけでなく、内陸での地震などさまざまなメカニズムの地震を含んでいる。観測精度の信ぴょう性の疑問もある。データに一定の質が担保されるのは、一般的に1970年代以降だとされるからだ。 鷺谷教授は「気象庁がまとめたごちゃまぜのデータで学術論文としては通らないだろう。この統計から言えることは大きな地震が起きやすいという地震学の常識を表しているに過ぎない」と語る。◆「科学的にはやりすぎ」と専門家
臨時情報は想定震源域の中で地震が起きたか否かを発表の基準とするが、この想定震源域自体にも科学的な問題があるという。現在の想定震源域は2011年3月の東日本大震災後の2012年に見直されたものだが、「想定外恐怖症」という空気の中で策定されたもので、当時から専門家からは「科学的にはやりすぎ」と批判があった。 東日本大震災後は想定を出すための前提が「歴史上最大(ありえる最大)」から「考えられる最大」に変わった。「科学的に否定できないものは採り入れる」という方針のもと、否定できない×否定できない×否定できない…と、03年に比べ範囲は2倍、想定死者数は13倍に増加した。 「過去にこのサイズの地震が起きた記録はなく、『東日本大震災が南海トラフで起きた』場合を当てはめた」。検討委員だった橋本氏は振り返る。政府は地震学者の委員たちに発生頻度を出すよう求めたが、「どう考えても出せない」と拒否した。そのため、「1000年に一度かそれより発生頻度が低い」という表現に抑えられたという経緯がある。◆日向灘の地震が南海トラフに影響を与えたとする研究はない
8月8日に起きた地震の震源域である日向灘の西側はこうして広げられたエリアにある。京都大防災研究所の西村卓也教授によると、過去の日向灘の地震が南海トラフに影響を与えたとする研究はない。「広げたのは南海トラフが起きたときに日向灘に影響を与える可能性が否定できないことが主で、逆はあまり考えられていない」と説明する。 鷺谷教授は「想定震源域自体あまりしっかりした根拠がない。その線の内側か外側かだけで南海トラフ地震の発生可能性を判定しても、科学的にあまり意味はない」と指摘する。 注意情報の南海トラフで想定するM7の後に、M8が実際に起きたケースは知られていない。だが、東日本大震災では3月9日にM7.3の前震が起き、その2日後にM9の地震が発生した。安政地震(1854年)や、昭和東南海地震(1944年)では、注意情報より一段警戒度が高い「巨大地震警戒」のケースが発生している。◆防災的な判断と科学は別
こうした教訓から備えを再確認する意義はある。だが、それはあくまで防災的な判断だ。臨時情報は政府が情報を出すだけの立場で、対策を講じたことによって実際に生じるコストや損失は自治体、企業、個人が責任を負う。 だからこそ「科学に基づいた確度の高い情報でないない」ということもセットで伝えることは、それぞれの主体が的確な判断をする上で不可欠だ。小沢慧一(おざわ・けいいち) 2011年入社。横浜支局、東海報道部(浜松)、名古屋社会部を経て東京社会部。2020年の連載「南海トラフ80%の内幕」は、同年に「科学ジャーナリスト賞」、2023年に「第71回菊池寛賞」をそれぞれ受賞。
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