<平和の俳句2024>

観光の魚雷跡地駿河湾
  長谷川生(いく、94歳) 千葉県柏市

 駿河湾の奥に位置し、水族館やホテルなどが立地する淡島(静岡県沼津市)には、戦時中に掘られた洞穴がいくつも残っている。「穴を見るたび、戦争のすさまじさを思い出し、むなしさを覚えてならない」。当時、近くの工場建設に携わっていた長谷川さんは嘆く。

平和への思いを話す長谷川生さん=千葉県柏市で(坂本亜由理撮影)

 旧静浦村(現・沼津市)の国民学校を卒業後、海軍の工員養成所を経て、1945(昭和20)年4月に無線機工場に配属された。5月から、伊豆長岡地区(同県伊豆の国市)で機械工場建設現場の担当になった。

◆沼津のほうの空が真っ赤に燃えていた

 従業員は15~17歳の若者以外は、軍を除隊になったり、負傷などで従軍できなかったりした人ばかりで、「戦況の悪化は感じていた」。45年7月17日未明、けたたましいサイレンで飛び起き、沼津方面の空が真っ赤に燃え上がる様子が窓の外に見えた。「戦争がいつ終わるか分からないが、日本はもう勝てないのではないか」との思いがよぎった。  8月10日、焼け落ちた沼津市街地で、海軍の上官は米軍の本土上陸に竹やりで立ち向かうことを訓示した。「淡島から人間魚雷が発射されるだろう」とも初めて聞かされた。  淡島には海軍の研究施設があった。さらに戦時中、周辺の海岸に隊員が乗り込んで敵艦に命中させる人間魚雷や、弾薬、食料などを保管する洞穴が数多く建設され、戦後も多くが残された。

◆玉音放送を聞く人たちの顔は…

 神風特攻隊と同じで「人間軽視も甚だしい」と長谷川さんは言う。海軍が非人道兵器の導入方針を打ち出し、直前には広島と長崎で新型爆弾が投下されたとニュースで知り、「そろそろ負ける」と痛感した。

平和への思いを話す長谷川生さん=千葉県柏市で(坂本亜由理撮影)

 8月15日、海軍の上官から玉音放送を聴くように促された。天を仰ぎ見る人、ほっとした表情を見せる人、うなだれる人…。それぞれの表情を覚えている。  戦後、静岡県内に親族が住んでいたこともあり、家族と旅行に出かけ、淡島にも足を運んだ。そのたびに終戦間際に聞いた上官の言葉を思い出した。湧きあがるむなしさを、平和の俳句にしたためた。  ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルとハマスの戦闘でも多数の死者が出ていることに心を痛めている。「戦争は絶対駄目」(山口登史)  ◇  ◇  若者を兵器にする人間魚雷が保管された洞穴、空襲で犠牲になった友の家にあったサルスベリ…。今も残る場所や草木が、戦争を経験した人たちにいや応なく「あの日」を思い起こさせてきた。東京新聞が8月中に掲載している、読者が詠んだ「平和の俳句」。ウクライナやパレスチナ自治区ガザなどで今も戦火がやまぬ中、つづられた「平和の俳句」には、悲しみ、怒り、不戦への願いが宿っている。 

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