<昭和20年に生まれて Born in 1945>  来年の「昭和100年」は戦後80年の節目とも重なる。国際社会が分断と対立を深め、国内でも防衛費が膨張するなど「新しい戦前」の空気が濃くなっている。終戦の年・昭和20年に生まれた人々は自分と同じ歳月を重ねてきた「戦後」の行く末に不安を感じていないか。思いを聞く。随時掲載の初回は作家の池澤夏樹さん―。

「降伏を遅らせた罪は重い」と語る池澤夏樹さん=新宿区で

 いけざわ・なつき 1945年7月7日、北海道生まれ。作家、詩人。88年「スティル・ライフ」で芥川賞、93年「マシアス・ギリの失脚」で谷崎潤一郎賞。代表作に「楽しい週末」「静かな大地」など。

◆作家として伝え、個人として行動する

 握ったプラカードに「海を埋めないで下さい」と書かれている。今年4月、池澤さんの姿が沖縄・辺野古にあった。作家としてリポートするだけでなく、個人として「新基地建設反対」を行動で示したのだ。  「新基地ができれば戦争を誘発しかねない。敵の攻撃を防ぐと言って基地を用意するのは、裏を返せば挑発。お互いが挑発を繰り返し、エスカレートする」  そんな危機感を抱き、辺野古で建設阻止の活動を続ける人々について「国という怪物が戦争の方へずるずる行こうとする後ろ足にしがみついても止めようとしている」と評価している。

プラカードを新基地工事車両に掲げる池沢夏樹さん=4月11日、沖縄県名護市辺野古で(沖縄タイムス提供)

◆生後1週間で空襲に「死んでいたのかも」

 池澤さんは、作家で仏文学者の福永武彦さん(1918~79年)と詩人原條あきこさん(23~2004年)の長男として北海道の帯広で生まれた。生後1週間で空襲に遭う。福永さんはこう書き残している。

1945年7月15日の空襲について刻まれた「帯広空襲の碑」=帯広百年記念館提供

裏面には「死者5人、家屋の損壊59戸」と被害が記録されている=帯広百年記念館提供

 「夏樹を抱いて防空壕(ごう)に入りました。…何人もの人が死にました。…いちばん幼い犠牲者は生まれて八か月の赤ん坊だったと聞きました。…まかり間違えば夏樹は生後一週間で爆弾の直撃を受けて死んでいたのかもしれない」  原條さんも当時、息子への思いを込めたいくつかの詩を残している。こんな一節もある。「なつきよ うけよ 天の 地の幸を」  池澤さんは母の祈りのような言葉を「戦争の中で息子の将来に不安を感じていたんだと思う」ととらえ、ほどなく迎えた「戦後」に80年近い人生を過ごしてきたことについて「何よりも自分たちの国が直接かかわる戦争がなかった。自由にものもいえる。恵まれていたと思う」と強調する。

◆「戦争への動きはいったん動き出すと…」

 だからこそ、過ちを繰り返さないための歴史検証には作家として「使命感も抱いている」。昨年には大伯父で海軍軍人だった秋吉利雄の生涯を通じ、戦中戦後史を記録した長編小説「また会う日まで」を出した。開戦に至る過程で、軍の中でも米英との無謀な戦争を回避しようとする英知は生きていながら、徐々にかき消されていく不条理が実在したという登場人物の証言を軸に描かれる。  「戦争への動きはいったん動き出すと、あっという間に加速する。外敵をつくり、メディアはあおり、大衆はそれに飛びつく。聞こえの良いうそが幅を利かせ、真実が犠牲となった」  小説は2020年から新聞で連載されたが、その間、日本学術会議の会員に推薦された候補のうち6人が菅義偉首相に任命拒否される問題が起きた。その一人は昭和史、戦史研究の第一人者・加藤陽子東京大大学院教授だった。学問の自由が侵されかねない事態に、池澤さんは「戦前に戻りつつある」と感じたという。  小説の終盤では、敗戦を前に軍が文書の焼却を命じる史実も描かれる。海軍兵学校で主人公の同期Mは命令に抗(あらが)い、真実の戦史を残そうと奔走するが、ある悲劇が待ち受ける。Mの存在は創作だが、その運命は歴史の闇を投影し、現在、未来の日本への警鐘とも感じさせる。「後ろ足にしがみついても…」。戦前に戻さないため、池澤さんが鳴らした警鐘でもある。 【次ページ】池澤さん「戦後、という言葉がもう一つの元号に」 に続く 前のページ
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