20年前の8月13日に起きた沖縄国際大学のヘリ墜落事故。「東京のメディア」は当時どう報じたのか。当時を知る人たちへの取材から、今につながる問題について考えます。

2004年当時RBCの記者だった湯浅(旧姓・嘉手川)由紀子さん


▽湯浅(旧姓・嘉手川)由紀子さん(当時RBC記者)
「黒こげの壁の印象がすごくあったんですけど、それが無くてもここにヘリが落ちたんだなっていうことを思い出すことが、この木を見ると思い出すことができますね」

湯浅由紀子さんは事故直後、RBCの記者として真っ先に現場に駆け付けました。

▽湯浅(旧姓・嘉手川)由紀子さん(当時RBC記者)
「今こうして来てみると、本当に平和な、この平穏な街であんなに大きな事故が起きたんだというのを見ると、そのギャップに驚かされますね」

米軍ヘリが墜落・炎上した沖縄国際大学(2004年8月13日)

2004年8月13日午後2時15分ごろ。アメリカ海兵隊の大型ヘリコプターが沖縄国際大学の構内に墜落し炎上。乗組員3人が負傷したものの、奇跡的に民間人にけがはありませんでした。

すぐ隣の普天間基地から次々とやってきたアメリカ兵たちが事故現場を封鎖。大学関係者や沖縄県警でさえ現場から締め出されるなど日米地位協定の不条理さが改めて露呈しました。


▽元朝日新聞記者・川端俊一さん
「これは3番手と言っていいのか。かなり小さい。アテネ五輪が大きくとってますから」「3番手と言ってもかなり小さめの3番手ですよね」

元朝日新聞の記者で、沖縄タイムスへの出向経験もある川端俊一さん。事故の一報を聞いたときに思い浮かべたのは、過去の悲惨な事故でした。

ー事故の一報を聞いたときは?

▽元朝日新聞記者・川端俊一さん
「真っ先に思い浮かんだのはやはり、宮森小学校の墜落事故」「背筋が凍りつくような、そういう思いになったのは今でも覚えています」

元朝日新聞記者・川端俊一さん



当時、朝日新聞西部本社(福岡)で、福岡県内のローカルニュースを扱う地域面のデスクを担当していた川端さん。翌日の紙面の構成を決める会議に参加していました。

ー紙面構成を決める会議ではどのようなやりとりが?
「同じ日に、巨人のオーナー、渡辺恒雄さんが、不祥事が起きて辞任するという」

会議に参加していたメンバーで、沖縄での取材経験が豊富だったのは川端さんだけ。事故をトップに据えるべきだと訴えましたが、その意見が通ることはありませんでした。


毎日新聞も、朝日新聞と同じくトップは巨人渡辺オーナーの辞任で、事故の扱いはアテネオリンピックに次ぐ3番手。読売新聞のトップは「人名漢字」についてで、事故は1面に載ることなく社会面のみと、さらに小さい扱いでした。

ー地元紙と全国紙の差異はなぜ生じたと思うか?

▽元朝日新聞記者・川端俊一さん
「事故直後の(主要全国紙の)社説を読み返してみると問題が見えてくるんですけど」「そろって同じように指摘しているのは、これは安保を揺るがす事故であると。日米安保体制にヒビを入れかねない事故であるというような、そういう視点が中心なんですね」

対する沖縄タイムスと琉球新報。日米地位協定の不条理さや、危険だと言いながら遅々として進まない普天間基地の移設問題など、県民の命と暮らしが脅かされた事故として、様々な角度から追及しました。

当時は民間地を米兵が規制 “不条理”が露呈した



「今や日本の国是とも言える日米安保体制ですね、これが大きな問題として(事故の)背景にある」「つまりこの国の国家体制に関わっている事故なんだという視点が、会社(朝日新聞)としても落ちていたし、私自身の認識も十分ではなかったというのが、今も悔やまれる点ですね」

RBCが加盟するJNNのキー局であるTBSは事故をどう報じたのか。今も続く平日夜のニュース番組「NEWS23」のこの日のトップニュースは… やはり巨人のオーナー辞任のニュース。番組冒頭から約7分間にわたって報じました。


一方で事故のニュースは番組開始から12分後。そのほかのニュースと合わせて短く伝えられただけでした。

▽TBS 佐古忠彦さん
「なぜあのときに、あの日にその現場に行かなかったのかというのは」「やっぱり悔いを残した痛恨の出来事」

当時、番組で筑紫哲也さんとともにキャスターを務めていた佐古忠彦さん。沖縄に関するドキュメンタリーや映画を次々に手掛けるなど、TBS内でも、誰よりも沖縄に眼差しを向け続けてきた1人です。

佐古忠彦さん

「沖縄からすれば、生活に根ざした、基地の問題、命の危険も考えなきゃいけない基地の問題。だけれども、本土側からしたらひょっとしたらあの時はいわば、犠牲者がいないというこの一点で、単なる事故という認識だったとしか見えない結果だったろうなと思う」

そのうえで、事故に対する地元メディアと本土メディアの大きなギャップについてこう解説します。

「沖縄戦があり、占領下に置かれた戦後、そしてそこから、いわば地続きというふうに言える今の歴史の上にある出来事という、「線」でこの出来事(事故)を見るのか、あるいは事故という「点」で見るのか」

事故の“証拠物”を回収する米兵


「いわばその歴史的な体験のギャップと言いますかね、そういったものが奥底にあって、それがそのまま現れた報道の結果だったんではないか」

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