戦後間もない沖縄・伊江島で米軍の船に積まれた爆弾が爆発し、180人余りが死傷した事故から6日で76年を迎え、慰霊祭が開かれました。
1945年の沖縄戦が終わった後も、沖縄の伊江島には、米軍が本土攻撃のために持ち込んだ未使用の爆弾が大量に残されていました。
1948年8月6日、伊江港に停泊していた米軍の弾薬輸送船「LCT」には、海中処理するためのロケット弾頭約5000発が積まれていましたが、米兵が積み荷の山に駆け上がったことで荷崩れし、大爆発を起こしました。
この事故で、伊江村民や村外の人など107人が死亡、70人が負傷しました。
事故から76年が経った6日、伊江島で慰霊祭が開かれ、遺族や島民ら約50人が参列し、犠牲者に祈りを捧げました。
▽父親を亡くした座間味末子さん
「一瞬にして爆発事件で、(人生が)180度変わってしまって。貧乏のどん底になった」「戦争は2度としてほしくないと、(慰霊祭に)参加している」
▽祖父を亡くした八前隆一さん
「村内の人にも周知されていない部分があったり、僕らもなかなか勉強できない状況ではあるが」「(事故を)次世代に繋げていきたい」
慰霊祭では事故を風化させまいと、県外に住む孫を同席させる遺族の姿などがみられました。
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