7月から1万円札の新たな顔となり、改めて注目されている渋沢栄一(1840~1931年)。都内を拠点に実業や社会・公共事業に尽力した。その足跡が各地に残る中、記者がこの夏、二つの地域を歩いた。初回は、渋沢が30~40代に住んだ現在の江東区のゆかりの地を巡るツアー(区観光協会主催)の同行記です。

江東区潮見に移築された旧渋沢邸=清水建設提供、古明地氏撮影

◆旧渋沢邸は江東区→港区→青森→現在の地に

渋沢栄一=渋沢史料館提供

 渋沢は1873年に大蔵省を辞した後、1876年から深川区深川福住町(現在の江東区永代)で暮らした。多くの会社の設立や育成に携わったほか、区議長や区教育会会長も務め、地域との結びつきも強かった。  その関係先を巡るまち歩きツアーの目玉は、渋沢とその家族が4代にわたって過ごした「旧渋沢邸」(同区潮見)。大手ゼネコン「清水建設」の2代目当主・清水喜助が設計を手がけ、1878年に深川福住町に建てられた。芝区三田綱町(現在の港区三田)や青森県六戸町に移築された後、同社が「2代目喜助のものづくりの精神が宿る建物を後世に残したい」との思いから買い取り、潮見に3度目の移築を進めてきた。

◆一般公開されていない旧渋沢邸が見られる

ツアー参加者に公開された旧渋沢邸の外観=江東区で

 ツアーでは、木造2階建て(延べ床面積約1200平方メートル)の外観を間近で見ることができた。同社のスタッフが「青森からばらして持って来た2万点以上の部材が使われています」と解説。明治の伝統家屋と昭和初期の洋風建築を巧みに調和させた建物に、参加者たちは見入っていた。  家族と訪れた同区の小学5年市橋錦乃丞さん(10)は「すっごく広くて立派でかっこいい」と話した。

深川福住町にあった当時の渋沢邸=渋沢史料館所蔵

 現在、一般公開はされておらず、案内役を務めた清水建設の高木健治さんは「問い合わせが毎日何件もありますが、まだ公開日は決まっていません」と話す。

◆各回のツアーが予約開始1時間以内で埋まる

 ツアーではこのほか、富岡八幡宮(同区富岡)を起点に、区観光協会の学芸員龍澤潤さんが約3キロを参加者と一緒に歩きながらゆかりの地を解説。渋沢が揮毫(きごう)した日露戦争戦死者の忠魂碑(深川公園内)や、渋沢が倉庫業の必要性を感じて設立した「渋沢倉庫部」(現在の渋沢倉庫)、旧渋沢邸が実際にあった「渋沢栄一宅跡」などを巡った。

渋沢栄一が揮毫した日露戦争戦死者の忠魂碑=東京都江東区の深川公園で

 6~12月の全10回のツアーはすべて満員。各回30人の定員がいずれも予約開始から1時間以内に埋まったという。区観光協会の千賀美友紀さんは「申し込みができない人も多くいらっしゃったと思いますが、今後も江東区から渋沢の魅力を発信していきたい」と話した。    ◇   ◇    

◆QRを読み取ればガイドや3D体験も

 渋沢ゆかりの地をPRしようと、江東区は区内の28カ所を紹介するまち歩きマップを作成。うち10カ所にQRコードを記載した案内板を設置している。

江東区が設置したQRコード付きの案内板

 現地でQRコードを読み取ると、動画でその地のガイドが受けられ、ツアーに参加できなくても自分のペースで「まち歩き」ができる。うち2カ所では当時の街並みを再現した3D体験ができる。  区は2021年、あまり知られていなかった渋沢ゆかりの地について調査研究するプロジェクトチームを立ち上げていた。10カ所は、
▽富岡八幡宮
▽深川公園
▽渋沢栄一宅跡
▽福住稲荷神社
▽旧佐倉藩主堀田邸
▽明治学校
▽静岡藩商法会所東京出張所
▽渋沢商店
▽浅野工場
▽松平定信墓

で、渋沢栄一宅跡と浅野工場は3D体験あり。  ◆文・井上真典/写真・七森祐也、井上真典  ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。 

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