大会終盤を迎えたパリ五輪。「持続可能な社会」を掲げる大会で注目されているのが、家畜を快適な環境で飼育して苦痛を減らす「アニマルウェルフェア」(AW)の取り組みだ。選手らへの食事に、狭いケージで飼育した鶏の卵を使うことを禁止するなど、前回東京大会と比べて厳しい基準を課した。環境意識の高まりで動物への配慮が世界的に広がる中、日本の動きは鈍い。背景に何があるのか。(木原育子、宮畑譲)

◆パリ選手村「ケージ飼いの卵」なし

 「非常に模範的だと思う。フランス大会の基準がスタンダードになっていくだろう」。認定NPO法人アニマルライツセンター(東京都渋谷区)の岡田千尋さんが率直にそう話した。

パリ五輪の選手村で、日本選手団が居住する建物

 パリ五輪では、持続可能な社会を目指した調達基準が示され、選手らに提供される食事も高いレベルのアニマルウェルフェアを実現させている。  例えば、卵。ワイヤ製のかごに押し込める「ケージ飼い」の卵はありえず、100%放牧で育った卵が使われている。さらに、これまで雄のひよこは将来的に卵を産まないため殺処分されていたが、ふ卵中に性別を判別できる技術を開発。雄のひよこの犠牲がない環境で、選手村などで卵が提供されている。

◆VIPへのフォアグラに「虐待」批判

 乳製品も、自由に動き回れる環境で育ったことが保証された認証を取得したフランス産に限る。欧州連合(EU)では、妊娠した豚を4カ月近くにわたって狭い場所に拘束する「妊娠ストール」を禁止しているので、今大会でもそのルールはそのまま適用された。

床面積あたりの羽数を減らし、止まり木を設置するなどアニマルウェルフェアに配慮して育てられている鶏=竹田謙一教授提供

 動物性食品は半分以下に削減され、水産製品についても、資源不足を加速させないため、提供される魚の30%が十分資源が確保されていることを求めた。つまり、クロマグロのような絶滅の危機にある魚は使うことはできない。岡田さんは「世界に向けてアピールできる内容」と称賛する。  ただし、もろ手を挙げてということはない。VIP観客向けにフォアグラの提供を容認しているからだ。フランスの食文化であるフォアグラは、ガチョウやカモに大量の餌を与えて太らせ、脂肪肝の状態にした肝臓。かねて批判されてきたが、今回も「動物虐待だ」との批判が起きている。

◆「いい流れ」を止めたのは東京五輪

 一方の東京五輪。調達基準で、アニマルフェルフェアの考え方は示されたが、「明確な基準はなく、ケージ飼いの卵でも良いとされ、建前に過ぎなかった」と岡田さん。大会前に元五輪選手たちがケージ飼いでない卵を、と要望したが、流れは変わらなかった。

お台場に設置されていた五輪モニュメントは東京大会終了後撤去された(2021年8月)

 五輪前の2020〜21年に起きた鶏卵汚職事件では、飼育環境を厳格化する国際獣疫事務局の案に危機感を抱いた鶏卵業者が、農相に賄賂を贈って反対するよう要望していたことが発覚。「動物たちの福祉」に後ろ向きな印象を与えた。  岡田さんは「ロンドン、リオと良い流れが来ていただけに東京の見劣り感は大きい。少なくとも食べ物に関することでレガシーになったものはない」と話す。

◆政治が動かないと浸透しない考え方

 日本が後ろ向きな背景に、大学院大学至善館の枝広淳子教授(環境経営)は、経済性優先の根強い考え方があるとみる。「欧州では動物をひどい環境に置くことは止めようと『命の目線』がある。日本ではこの考え方が全く根付いていない」としつつ、政府の支援も必要と説く。「EUで改革が進んだのは政治が動いたから。思い切って予算付けし、10年ほど移行期間を設けて変革してきた。日本もアニマルウェルフェアをどうするのか、全体計画を立て、しっかり予算を付けて支援する必要がある」  そもそもアニマルウェルフェアとは何なのか。「動物福祉」と訳され、人が利用する家畜などに必要以上の苦痛を与えるべきではないとする考えで、食用自体を否定するわけではない。「動物愛護」とは少し趣が異なる。

狭いケージで飼われた鶏=アニマルライツセンター提供

 伝統的に肉を多く消費してきた欧州から始まったこともあり、牛や豚、鳥といった家畜が対象の中心。効率化を求め、行き過ぎた集中、工業化による残酷な扱いを戒める。現在、国際的な指標として、動物の飢えや病気、抑圧などを避ける「五つの自由」が挙げられている。

◆「いただきます」命に敬意を払う伝統

 「日本は戦後、畜産の効率化を進めてきたが、ほとんど輸出することはなかった。その間、世界の動きに目を向けず、ガラパゴス化した。消費者、畜産業者とも『製品』をつくっている感覚で、命を扱っているという認識が低い」。社会や環境に配慮したエシカル商品に詳しい、日本女子大の細川幸一名誉教授が、彼我の差と背景を解説する。  給水施設のない食肉処理場は少なくなく、牛や豚などが処理されるまで何時間も水も飲めない状態にあることはその一例だ。  動物福祉への配慮が進んでいるとは言えない日本だが、自分の命のために他の命を「いただきます」と言い、生き物に敬意を払う伝統はある。本格的に取り組む企業も出てきている。

◆取り組み不足の企業には投資リスク

 日本ハムは2021年、五つの自由を推進するなどのポリシーを公表。生産、加工、輸送など各工程でのガイドラインを作成し、豚の妊娠ストールの廃止などの目標も掲げた。味の素も昨年、可能な限り動物実験を行わず、最小化すると発表した。  投資家も意識改革を迫る。今年6月、わかもと製薬(東京)の株主総会で、英国が拠点の投資会社ナナホシマネジメントが、動物実験の動物別購入頭数を開示するよう定款変更を株主提案した。否決されたが、提案理由の中で、使用動物を減らすといった取り組みが不足する企業には「投資するリスクは大きくなる一方、十分な取り組みをしている企業に対する投資リスクは低減する」と訴えた。

◆指針は最低レベル…消費者も理解を

 農林水産省は昨年、アニマルウェルフェアに関する飼育指針を作った。畜産農家などに国際水準の取り組みを促し、輸出拡大にもつなげたい考えだが、違反しても罰則はない。  ケージをなくすことや飼育密度などに関する具体的な数字は明記されておらず、前出の岡田さんは「指針は最低限のレベル。決して進んでいるわけではない。この内容では生産者もどうしてよいか分からないだろう。もう少し踏み込むべきだ」と批判する。

農林水産省

 細川さんも「畜産業界はコスト高などを理由に挙げ、なかなか徹底されない。法律で定めるべきだ。ただ、やれと言って簡単にできるものではない。消費者と生産者の両者の理解が欠かせない」と強調する。

◆生産者の動機づけになれば好循環

 その消費者の理解は道半ばだ。2022年、東工大を中心としたグループが「有機畜産」や「代替肉」など、どんな生産方式の牛肉を選ぶのかを消費者に聞いたところ、69%がアニマルウェルフェアと表示された商品は選ばなかった。  調査に参加した信州大の竹田謙一教授(家畜管理学)は消費者へのPRとともに、認証制度を導入して生産者のインセンティブにするべきだと提唱する。  「まだまだ消費者の間に浸透してない。啓発活動は重要だ。国や自治体が認証制度をつくれば生産者の努力を評価し、PRに活用できる。消費者の購買意欲を促進し、生産者の利益につながれば動機づけとなる。そうした循環をつくり出していくべきだ」

◆デスクメモ

 「物価の優等生」と言われる鶏卵。先日スーパーの特売で買った値段は10個で約200円だった。物価高の折、消費者としてはありがたいと思う。しかし、安さの裏で犠牲になっているものは何か、普段気に留めることはほとんどない。優等生の実相を知るところから始めたい。(拓) 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。