気象台に現存 1945年8月6日原爆投下当日の「気象観測記録」原本

広島地方気象台(広島・中区)

広島に原爆が投下されてから79年。あの日の広島はどのような状況だったのかを記した貴重な資料が現存していることがわかりました。原爆投下の当日に観測された気温や風などを計測した気象観測記録の原本です。そこには原爆が炸裂した瞬間の異変とみられる形跡も記されていました。

広島地方気象台の職員
「こちらが資料です…」
江波山気象館 脇阪伯史 学芸員
「はぁこれですか…気圧と温度と降水量、湿度…」

1945(昭和20)年の「気象観測記録」原本

色あせた紙を束ねた冊子の背表紙には、「1945」の文字…。
1945年=昭和20年、広島市にあった気象台が行っていた「観測記録」の原本です。

背表紙にはあわせて「温度」「湿度」「気圧」「風速」「ダインス」「降水量」と書かれています。

当時、気温や気圧、風速などは、ゼンマイ式の機械によって計測された値が、青いインクで紙に記録されていました。

その中には原爆が投下された8月6日の記録も残されていました。

気圧の記録(1945年8月6日)

江波山気象館 脇阪伯史 学芸員
「ちょうど8時15分ころになりますが、爆風という記述があって、よくみると針が上に跳ね上がったような…」

爆心地から3.7キロ 当時の気象台の建物に今も残る原爆の痕跡

江波山気象館(旧広島地方気象台) 広島・中区

RCCウェザーセンター 岩永哲 気象予報士
「当時の気象台の建物は、爆心地から3.7キロほど離れた小高い山にありました。原爆による爆風に襲われたものの、気象の観測機器は途絶えることなく、当時の広島の気象データを記録していました。」

当時、気象台だった建物は、現在は気象をテーマにした「江波山気象館」という博物館になっています。江波山気象館は1934(昭和9)年から1987(昭和62)年まで気象台として使われていました。

今も残る爆風で部屋の内側に曲がった当時の窓枠

内側に曲がった窓枠のフレームや、割れた窓ガラスの破片が突き刺さったままの壁…。館内には、原爆の爆風による痕跡が残っています。また、原爆による被害や影響について当時の気象台職員が調べてまとめた様々な資料も数多く残されています。

江波山気象館 脇阪伯史 学芸員

その中で30年以上にわたって原爆に関する気象の資料を調べている学芸員の脇阪さんが確認できていなかったのが、1945年8月6日の観測記録そのものでした。

江波山気象館 脇阪伯史 学芸員
「原本がどこかにあるんだろうなという思いはあったが、これまで私自身も原本を見たことがなくて…」

長年探し求めていた「原本」と対面 原爆投下当日の観測記録を見ると… 

原爆投下当日の「気象観測記録」原本(広島地方気象台)

その8月6日の原本は、広島地方気象台に残されていました。8月6日を含む1945年の気象観測記録は、他の資料とは別に金庫の棚の奥にまとまった形で保管されていました。これまで外部には公開されていなかったといいます。

1945年8月6日 気温の観測記録(原本)

江波山気象館 脇阪伯史 学芸員
(気温の観測記録を見ながら)
「ここからが6日の資料。(原爆投下時刻の)午前8時15分くらいにちょっと針が上に振れてるような…。そのあと気温がしばらく上がらない状況も見えますけど、それが原爆の爆発による雲で日照が遮られた影響なのか…推測の域はでませんが、 そんなこともあったか」

1945年8月6日 風速の観測記録(原本)

また、風速のデータも、原爆がさく裂した時間の異変を示していました。

江波山気象館 脇阪伯史 学芸員
「午前8時10分すぎにタテに2回ドットが打たれている。かなり垂直に立っているので、ごく短い時間に2回打たれたのは、ごく短い時間に瞬間的に強い風が吹いたことの記録かもしれない」

また、気圧の記録も原爆によって瞬間的な変化が生じた可能性があるといいます。

途絶えることはなかった気象観測 「当時の使命感に頭が下がる思い」 

広島地方気象台徳廣貴之台長(右) 江波山気象館 脇阪伯史学芸員(左)

江波山気象館 脇阪伯史 学芸員
「実際、こうやって原爆が落ちた当時に動いていた機械についていた記録そのもの、生の記録を見たのは初めて。非常に写しとは違って、当時の様子が伝わってくる。」

気象台では、建物が破壊され、大半の職員がケガをしながらも、観測が絶え間なく続いていたのです。

広島地方気象台 徳廣貴之 台長
「我々先輩が原爆投下という非常に困難な状況で記録を途絶えさせてはいけないという使命感で、こういう形で残されている。ただただ頭がが下がる思い。」
「根本的に観測は、刻々と変わる自然現象をいかに的確に捉えて残して伝えていくということは今も昔も変わらない。そういう思いが伝わってくる。」
「あらためて身が引き締まる思いがする」

江波山気象館 脇阪伯史 学芸員
「これからこれをどういった形で、残していくのか、伝えていくのかを考えていかないいけないなと」

1945年8月6日 「気象観測記録」原本

8月6日の気象観測記録…。
あの日、広島で何があったのかを解き明かす重要な資料となる可能性があります。

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