8月6日、9日を前に、原爆について新しい視点で考えるきっかけをくれるドキュメンタリー映画の上映が広島でも始まります。タイトルは「リッチランド」。

リッチランドとは、…アメリカ・ワシントン州にある、人口が府中町より少し多いくらい、およそ6万人という小さな町の名前で、ご存じの方は少ないと思います。
ですがここが、実は、広島・長崎と大きく関わりがある町でした。映画「リッチランド」は、この町をめぐる物語です。

街のシンボルはキノコ雲 誇り?不快?様々な声

アメリカ・北西部にあり、人口およそ6万人の街、リッチランドは、第二次世界大戦中に作られた街です。「マンハッタン計画」の一翼を担った、核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」の労働者とその家族が暮らすベッドタウンでした。

「ハンフォード・サイト」は、40年ほど前に稼働が終了し、今では、国立歴史公園に指定され、多くの観光客が訪れます。

街のいたるところに、掲げられるのは、キノコ雲のモチーフ。映画では、リッチランドの住民達のアイデンティティとも言えるプルトニウムや原爆について様々な立場や考え方が交差します。

映画より
「キノコ雲は世界の誰もが知っていて、これは殺しのシンボルじゃない。この町の業績だ」
「キノコ雲にいい意味なんてない。利点がわからないよ」
「どこを見てもキノコ雲。学校は誇りにしてるよね」

7月、この映画を制作したアイリーン・ルスティック監督が広島を訪れ、試写会が開催されました。この映画を完成させた時、監督は、少なくとも映画の舞台となったリッチランドと、日本では、必ず上映したいと思っていたそうです。

アイリーン・ルスティック監督
「この映画を特に広島・長崎で上映できることが、大変重要だと考えています」「この映画は、和解という問題について、和解が成立する条件とは何かと、色々考えさせるものです。私にとっては、今日のこのような場、人と人が出会って対話が始まるということが、和解の第1歩ではないかと感じています」

叙情詩のように描かれるコミュニティの歴史

テーマは「和解」。映画では、この町が、元々は先住民の土地だったことや、放射線被ばくによる病気を嘆く住民の声、原爆投下後76年経って初めて開催された追悼式典に、被爆3世のアーティストが参加する様子などが、歌や詩の朗読を織り交ぜて描かれます。

浮かび上がるのは、「核兵器の威力と被害」という対立構造ではなく、ひだのように折り重なったコミュニティの歴史です。

映画を観た人は…
「アメリカには、アメリカの事情とか、その、放射線とかで苦しんでられる方がいるんだなっていうのがわかったんで。勉強になりました」
「どちらかがいいとか悪いとかではなくて、色々な視点を見る人が考えてくださいっていう形で、こう映し出してるところがいいなと思いました」
「実際にはそこで暮らしている人々がやっぱり核の被害者になってしまってる。被害者なのに、やはり核兵器をね、作って誇りにしてるっていう、その矛盾するところがなんとも言えない現実ですよね」

アメリカの中でも、政治的な考え方や世代によって原爆についての考え方は様々です。

「和解」とは…? 前進や忘却ではなく…

アイリーン・ルスティック監督
「私としては、どちらの人にとっても、この映画で何か新しいことを、見たり聞いたり学んだりできるんじゃないかって期待していますし、そういう映画になっていると思っています」

そして、この映画は、核の問題だけではなく、世界中の地域ごとにある複雑な負の歴史、暴力的な加害の歴史についての取り組み方を示していると、ルスティック監督は言います。

アイリーン・ルスティック監督
「和解とは、起きたことをお互いにもう忘れようよっていうことじゃなく、むしろお互いに起きたことを確認して、一緒に感じるということではないかと。それって全然違った心の動きであり、目的地なんです」
「忘れてもいいよって言われたとしても、いや、忘れないと。和解の目的は、前進したり忘れたりすることではなく、自分達が難しい歴史を抱えてるってことを確認しあうことだとさえ思います」

監督は、この映画の公開は、映画「オッペンハイマー」と同じ2023年で、意識して作ったわけではない。とのこと。そして「『オッペンハイマー』が描かなかったものに私は興味がある」と話していました。

この映画「リッチランド」は8月3日から、広島市西区の横川シネマで3週間にわたって上映されます。

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