富山市の市街地を焼け尽くし推定3千人の命を奪った富山大空襲から79年となります。体験者が高齢化で減少していく中、3世代にわたって記憶をつなぎ平和の大切さを訴えていこうと「語り部」活動を始めた家族がいます。

10歳で空襲を体験した佐藤進さん(89)
「何とか家族全員避難することはできました。だけどこの辺はもう火の海に。熱風や煙が容赦なく襲い掛かってきました」「空襲が終わって川が上がってみると辺りは一面の焼け野原でした」

佐藤進さん89歳。2001年から「富山大空襲を語り継ぐ会」に入り、小学校などで出前講座を行ってきました。

推定3000人の命を奪った富山大空襲。1945年8月2日未明。アメリカ軍の爆撃機、Bー29は富山市の中心部に50万発以上の焼夷弾を投下。市街地の破壊率は99.5%と、空襲を受けた都市の中で最悪の被害でした。

佐藤さんは自らの体験に加えて、戦争の残虐さと愚かさを伝え続けています。

10歳で空襲を体験した佐藤進さん(89)
「日本は被害者でもあり加害者でもあるんです。このことをしっかり覚えておいてください。戦争は人間の犯す最悪の犯罪なんです」

これまで275回、2万人以上に悲惨な戦争の記憶を伝えてきましたが、数年前から体調を崩すことが多くなってきました。

10歳で空襲を体験した佐藤進さん(89)「89歳ですからね、何が起きるかわからないので、先のことは見通し立たないと思うんですけど、まだまだできれば続けていきたいなと」

娘の西田亜希代さんは、去年から父の出前講座をサポートしながら、「語り部」としての活動を学んできました。父の空襲の記憶が途絶えてしまうのではないか、「喪失感」が原動力になったといいます。

川の中で布団をかぶって生き延びた…

1年間、勉強を重ね、7月20日、亜希代さんは県民カレッジの講座で「語り部」としてデビューすることになりました。

娘 西田亜希代さん「眠れませんでした。お伝えしたい情熱だけは伝わるかなと思いながら」

亜希代さんが語り継ぐのは、父が体験した富山大空襲の記憶です。

娘 西田亜希代さん「逃げて、耐えて静かになったころに布団から見た光景というのが一面焼け野原の光景だったと」「この中にうちの父も逃げて助かって私が存在しているわけなんですけども」

父の進さんは当時10歳でした。母と兄、妹と一緒に降り注ぐ焼夷弾から逃げて、命からがら飛び込んだ川の中で布団をかぶって生き延びました。

本当に迷いもなく「いいよ、やってみる」

亜希代さんは、進さんの空襲体験とともに、富山大空襲の歴史的事実を丁寧に伝えるよう心がけています。

娘 西田亜希代さん「8月1日が(米軍の)航空軍の創設38周年記念だったんです」

作戦を指揮した当時の司令官カーチス・ルメイは昇格が決まっていて、自身最後のターゲットである富山に最大兵力を投入しました。

娘 西田亜希代さん「昇格を祝う祝賀爆撃だったというのがわかったんですね。だから普通の空襲とは違う」

娘のデビューを見届けた進さんは…。

10歳で空襲を体験した佐藤進さん(89)「私を超えたんじゃないかと思いますけどね。これからもがんばってほしいと思います」

娘 西田亜希代さん「父から聞いた時にグッときた感覚をそのまま言葉に乗せて、伝えることができたらどんなにいいだろうって思っています」

そして、亜希代さんが、一緒に「語り部」をやろうと誘ったのが高校生の娘・七虹(16)さんです。

娘 西田亜希代さん「断ってもいいように聞いたんですけど、本当に迷いもなく『いいよやってみる』と言ってくれて」

身近な話から“戦争”を感じてもらう…

孫 西田七虹さん「なんかパって。やってみようかな、みたいな」「おじいちゃんが自分の小学校に来て出前講座をしてくれたのをずっと記憶にあったので、それをお手本にという感じでやれば自分にもできるんじゃないかなみたいな」

富山大空襲を3世代で語り継いくことを決めてから、3人は、富山と同じ夜に空襲があった新潟県長岡市をはじめ、全国各地を回り太平洋戦争の歴史を学び直してきました。

そして、7月31日、七虹さんが初めて富山市の放課後児童クラブで「語り部」を務めました。

孫 西田七虹さん「みんな何歳ですか?」
子どもたち「10歳です」
孫 西田七虹さん「お、10歳、10歳という声が聞こえましたが、私のおじいちゃんは10歳で戦争を体験しました」

約30人の小学生を前に、富山大空襲や戦争について話をしました。

孫 西田七虹さん「爆撃の一番中心として落とされた場所がすぐそこの城址公園です」

母の亜希代さんもサポートし、富山を襲った爆撃の凄まじさを伝えます。

孫 西田亜希代さん「1坪っていう範囲なのね、180cm×180cmなんだけど、富山市にこの広さに1発落とされたっていうことなのね。このぐらいたくさん爆弾が落ちたんだよっていうことをこの大きさで知ってもらいたくて」

七虹さんは、子どもたちが戦争を遠い話だと感じないよう、戦時中の食事の話などを盛り込み、身近なことから戦争を伝えました。そして最後は…。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。